セックスを恋愛の餌にしても幸せにはなれない
大泉:持ちあげればいいというと乱暴ですけど。こちらが歩み寄った分だけ、向こうも歩み寄ってくれますよね。
二村:そう。相手の性感帯を探すことと、相手が言われたら嬉しいことを口に出して言うのは同じだと思うんだけど、かといって褒めすぎるとつけあがるから、そのちょうどいいところを探す。
大泉:なるほど、コミュニケーションですね。
二村:お互い自分というものをネタにしての相手と“価値の交換”をすることがコミュニケーションということだと思うんだけど、自己肯定感がないせいで、皆、できなくなっちゃっていて。
一方的に「あの人は好き」になっちゃうか、もしくは「好きになられてウザいけど、結婚したいから妥協しとくか」とか……、非常に良くないですよね。
じゃあ、その自己肯定感が男にはあるかというと、一見あるように見えても、実はそれは男性社会に守られているだけのインチキ自己肯定感。
ところが、それに地位や収入や外見なんかがついてくると、女の人はそれでいいと思っちゃったりもして。そんな状態なのに、“セックス”というものがそこに変わらずあるから、セックスが何のために行われるか、ということがすごく間違っちゃっている。
大泉:間違ったセックスって何ですか?
二村:セックスを“恋愛の餌”にしている人すごくたくさんいるでしょ?
自分はセックスが好きなわけじゃないんだけど、男性から関心を持たれるためだったり、自分が恋した相手を繋ぎとめるために、自分の快感のためではなく、相手へのエサとして自分の身体を与えちゃっている。そういう人は幸せになれないと思うんです。
大泉:確かに、セックスを何かを得るための道具にしている女性には、気持ち悪さを感じます。
逆に男は男で、何度かセックスした相手にフラれると「風俗だったら○○円かかったから元は取れているな」とか自分を慰めたりとか……。
二村:間違っていますね……。男も女もセックスの使い方を間違っている。そのくせ、こう、肉体や心の芯にぐーっときちゃうものだから、やっかいなんだ。なぜ皆、恋愛とか、その先の結婚や生活に、セックスというものを結びつけるのだろう。
【次回に続く】
次回は、「セックスと結婚」についてお送りいたします。
Text/大泉りか