なぜ女性の排尿にスケベ心を抱くのか

喜多川歌麿《艶本多歌羅久良(えほんたからぐら)》1800年 国際日本文化研究センター Z

そうかといって人々が排尿にスケベ心を抱かなかったかといえば、それを否定することはできません。

喜多川歌麿『艶本多歌羅久良(えほんたからぐら)』のように女性が尿意を感じて道端にしゃがみ、着物をまくって排尿するところを男性が隠れて覗いている春画はいくつか見たことがあります。

なぜ女性の排尿シーンにスケベ心を抱くのでしょうか。普段は人に見せることのない無防備に股を開き、こっそり外で排泄している光景に特別感を得られるのでしょうか。

勝川春章《会本可男女怡志(えほんかなめいし)》1782年 国際日本文化研究センター ZZ

尿を飲むことを勧める性典物は見かけたことはありませんが、女性の愛液を器に貯めて飲むことを勧める性典物はいくつか読んだことがあります。

江戸期には男性が射精できる精液には限度があると考えられていました。そのうえ精液(腎水)は命の源と考えられていたため、どうにかして腎水を体内に補いたいと考えたわけです。そして、その薬となるアイテムとして女性の愛液が挙げられていたのです。しかし普通の愛液ではなく、女性が快感で絶頂に達しているときの愛液でないといけません。

しかし冷静に考えて、湧き出る泉のように愛液を出せる女性が江戸期にはどれほどいたのでしょうか。勝川春章『会本可男女怡志(えほんかなめいし)』のように、外国から来た男性が、女性の淫水(愛液)を器に貯めている場面の春画もいくつか存在します。もともと女性の愛液を腎水を補うために飲むという内容は、古代中国が由来の情報です。そのため外国の文化を感じられるような春画が描かれたのでしょう。

排泄とセックスの関係は調べれば調べるほどに興味が尽きません。

《参考文献》「江戸の糞尿学」永井義男 作品社

Text/春画―ル

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わたし、OL。推しは、絵師――美術蒐集はお金持ちだけの特権ではない。
美大に通っていたわけでも、古典や日本史が好きだったわけでもない「わたし」が身の丈に合った春画の愉しみ方をユーモアたっぷりに伝える。自分なりの視点で作品を愛で、調べ、作品を応用して遊びつくす知的冒険エッセイ。個人所蔵の珍しい春画も多数掲載。