初潮をお祝いする文化
江戸期から現代が地続きであることを感じることができる事柄の一つに「初潮を祝う」という風習がある。
「初潮を祝われたことはないが、風習の存在は知っている」という方もいらっしゃるでしょう。
初潮の祝い方は大きく分けると、家族内のみでお祝いする場合と、地域に赤飯を配るなどして地域で祝う場合があったようだ。わたし自身は、初潮を祝う理由や、祝い方の地域差などについて詳しく考えたことがなかったので、この「地域に娘が初潮を迎えたことを知らせ、皆でお祝いをする意味」について考えてみたい。
古くから夫婦間の“和合”の重要性について説いた性典物が多くある理由のひとつに、子孫の繁栄が重要視されていた。そして初潮は13、14歳ごろに迎えると考えられ、初潮を迎えることは交合い(まぐわい)に適した年齢を迎えたという意味を持つ。古来から女性が成人に伴って行う儀式「成女式」が挙げられ、これは生理を迎えるだろう年齢と重なる。
他にも、最初の月経を「ウイデ」と呼び、「初い出(ういで)」と呼ばれる八丈島の“初潮のお祝い”についての記述も見つけた。親は女の子が産まれるとその日からウイデ祝いの準備として蓄えを行い、親類や友達等が稲一束(五升)または白菜、芋、野菜、煙草などを送ることで成年者と認め、はじめて結婚の資格を得たことを祝福する習慣があったようだ。
娘が他火小屋(生理中は生活で使う火は家族と分けた)から家に帰ると「ウイデ祝い」をする。この祝いは女性にとっては一生に一大の大祝いであり、結婚式以上のものであったという。地域の人々も田穂などを持ち、ウイデがあった親の家へ行き祝福をし、祝いが終わるとプロポーズをする男性が出てくるそうだ。
地域に分かるように親族が娘の初潮を祝うことによって、娘が成長したことや結婚適齢を迎えたことを知らせていたのではないだろうか。そしてこれは地域によっては夜這いの風習にも繋がっていたのではないだろうか(夜這いについてここでは割愛する)。
一方、初潮祝いを「ハツハナ祝い」と呼び、家庭内のささやかな祝いとして赤飯やご馳走を用意するエリアも存在した。『神奈川県民族分布地図』のデータ(昭和57年度100地図、昭和58年度50地区の計150地区で文化庁作成の同一調査に基づき実施されたもの)によると、母親が赤い腰巻を送ったり、「毎月の生理が3日間で済みますように」の願いを込めて母親が腰巻に3針縫う“おまじない”をする地区もある。もちろん娘が嫌がるという理由で全く祝い事を行わない地区も存在する。
ちなみに、初潮のお祝いとして赤飯を炊く風習は全国共通では無いことも伝えておく。
例えば昭和39年度の『鹿児島県文化財調査報告書 第12集』によると、赤飯を炊く日は地域で異なる。
赤飯を日頃「マメゴハン」として常食し、祝い事、結婚式などのハレの日にシロゴハンが用意される地区や、祝い事があるときだけでなく常食する地区もあり、同じ県内であれど地区により様々である。逆に赤飯を「あかめし」と読んで、祝いの時には絶対に炊かない“年忌”の時に炊く地区もあったようだ。
時代とともに都心部ではサラリーマンが増え、地域の集合体としての感覚は薄れ、個々の家族としての営みが増えていった。そして生活様式の変化や女性の社会進出、個人のプライバシーの尊重などの様々な要因により、初潮を祝う事そのものの必要性が疑問視されてきたのかもしれない。
そして、初潮を祝う文化そのもの意味が空白となり、「祝われて恥ずかしくて嫌だった」の意見がマイナスの印象として受け取られがちな文化となっていったのではないだろうか。もちろん江戸時代に詠まれた川柳には、赤飯で祝われることの恥ずかしさを詠んだものもある。初めて感じる自分の身体の変化への動揺はいつの時代も存在したようだ。
しかし今回のコラムでの祝いの事例の通り、親たちは娘の成長を心から喜び祝福をしようとしたのだ。どうかその面が存在していたことも知って欲しい。
時代とともに性のことを含め価値観は変化する。存続し続けた文化が永遠に受け入れられないことも事実だ。
最後に冒頭に書いたことをもう一度お伝えしたい。
「過去に存在した価値観含め文化や風習を知ることは、現在自分が持っている考え方の視野をより広げ、より良い未来をつくるために必要なこと」なのだと。
【参考文献】
鹿児島県教育委員会『鹿児島県文化財調査報告書 第12集』1965年
岩手県教育委員会『文化財報告書 第16集』1966年
沼津市歴史民俗資料館『沼津内浦の民族』1976年
神奈川県立博物館『神奈川県民族分布地図』1984年
浅沼良次『流人の島』日本週報社 1959年
和歌森太郎『女の一生』河出書房新社 1976年
田中ひかる『生理用品の社会史』角川文庫 2019年
渡辺信一郎『江戸の女たちの月華考-江戸に描かれた褻の文化を探る-』葉文館出版株式会社 1999年
Text/春画―ル