良いヤリチンと悪いヤリチンと…
先々週、「ヤリチンは女性にとってありがたい存在」という話を書きました。ひとくちにヤリチンといっても、良いヤリチンもいれば悪いヤリチンもいます。今週は、良いヤリチンと悪いヤリチンの仕分け作業をしていきましょう。
良いヤリチンは、婦女子をセックスに誘う際、「もしかしたら俺たちって付き合っちゃうかもね」と、正式交際を匂わせるようなことは絶対しません。「今夜、キミを抱きたい」「キミとセックスがしたい」と、その交渉術は実にシンプル! 「今度、映画に行こう」だとか「キミの手料理が食べたい」だとか「いつか一緒に沖縄旅行へ行けたら良いね」だとか、明日以降の未来予想図に関しては一切触れてこないのです。そういったセリフを吐くことで、婦女子側に「もしかしてお付き合いできるかも」という過度な期待を抱かせ、ガッカリさせないよう配慮しているのでしょう。
一方で悪いヤリチンは、「好き」「愛している」など愛情表現の言葉を羅列し、婦女子側をすっかりその気にさせます。それらの言葉ナシでは、今夜のセックスに辿り着く自信が持てないのでしょう。
いや! ここまで書いて、はたと気付きました。セックスするため意図的に愛の言葉を囁いているわけではなく、セックスしたい欲求を「恋心」と勘違いしてしまうヤリチンも存在するのです。これは「悪いヤリチン」というよりも「阿呆なヤリチン」と言ったほうが的を射ているかもしれません。阿呆なヤリチンに、悪気は一切ありません。「セックスがしたい!」「陰嚢が大爆発しそうだ!」という欲求を、「こんなにもセックスしたいと思うってことは、俺は目の前にいる○○ちゃんのことがよほど好きなのだな」と結論づけているだけなのです。
そして、その思いをそのまんま○○ちゃんにぶつけます。「好きだ」「愛している」「俺たちって付き合っちゃうかもね」どころか、「俺たち、付き合おうぜ!」と。こうして「阿呆なヤリチン」と「○○ちゃん」はラブホ街へと消えてゆきます。
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