撮る/撮られるラブホテル

「撮る」とはどういうことか。
どうやら、「料金を投入するとベッドの上に備え付けられた固定式のビデオカメラが録画を開始し、一定時間経つと自動的にその録画された映像がテレビモニター上で再生される」(p. 45)というシステムだったようだ。

 そんなマニアックなプレイをする人なんて、滅多にいないんじゃないの? と思う人もいるかもしれないが、溝尻によれば「自分たちの姿を撮るテクノロジーとしてのラブホテルのビデオ撮影装置を採り上げる雑誌記事は、ポルノ作品を観るテクノロジーとしてビデオを捉えるそれよりもはるかに多い」(p. 45)。
特に、まるでピンク映画の主人公になったかのように自分たちのセックスを撮影・鑑賞することで、再び興奮して2回戦へ……というような使い方が想定されていたようである。

 [ホテルの]料金表に「次回お越しの節はポルノシステムマル秘特別VTRのお部屋をどうぞ」とメッセージがはさみこんであって、いわく「愛し合う二人がその場で自分達のポルノをテレビの画面で声と一緒に鑑賞し主役を褒めたたえ、そして、再び燃えてもらいます」(原文のまま)とあった。
(『週刊大衆』1972年4月13日号、角カッコ筆者)

 もちろん雑誌記事なので、おもしろおかしく書こうという意図のせいで現実が誇張されているということもあるだろう。
しかし、「イメージ」として、「撮る」ことを介してビデオとエロが結びついていたのは少なくとも間違いない。
しかもそれは、今のように自慰のための孤独なメディアとしてではなく、カップルという親密な関係性のもとで使用されるメディアとして想定されていたのだ。

 さて、そんな「AV前史」は、「AV史」とゆるやかに繋がってゆく。

 ラブホテルの撮影サービスでは、「再生が終わるとテープは巻き戻され、次の利用者の映像が上書きされ」たりなどして動画は消されるはずなのだが(p. 45)、安田義章という性風俗資料収集家は、なんとラブホと結託してこの映像を収集していた。
そして伊勢鱗太郎というAV監督は、そこに収められた演出の全くない素人的エロスに目をつけ、「消し忘れ」と題したシリーズを80年代にヒットさせることになる(藤木TDC『アダルトビデオ革命史』)。

 この「消し忘れ」シリーズのリアリティをより人為的に作品に組み込もうとした結果、「ハメ撮り」という名称が誕生するより早く、伊勢監督は「ハメ撮り」を始めている。85年頃のことだ(前掲書)。
その後、ビデオカメラの小型化とともに撮影が簡単になり、ナンパモノ、素人モノへとエロのアマチュアリズムの系譜がつながっていくのである。

  *  *  *

 AVが生まれる前から、ビデオはエロと結びついていた。しかし、孤独なメディアとしてではなく、親密なメディアとして。
といっても、今でも女性向けAVではよく「彼にも観て学んでもらって!」みたいな言い方がされるし、『Body talk lesson for couples』のようにそもそもカップルでの視聴が想定されているAVもある。ビデオテクノロジーはまた親密性を取り戻しているのだろうか。
しかし逆に、アダルトVRのせいで若者たちは親密なセックスからさらに離れて、孤独なオナニーを楽しむのではないか……という予言めいた言説もある。

 実際、アダルトコンテンツとVRを組み合わせたものはすでにかなりの数現れているし(《バーチャルおっぱい、未来の嫁……アダルトVRは女性とのセックスを超える?》)、こういったものが人々の身体感覚に影響しないわけがない。
ただし、それこそビデオがそうであったように、VRは過剰にアダルトイメージを背負わされすぎている気もする。
永田大輔という研究者が、ビデオの初期普及戦略には「教育の場」が大切だったと指摘しているが、VRもそうなるかもしれない。

 ポルノの研究をしているからこそ言うが、エロは技術ひとつを普及させてしまえるほど立派なものではないだろう。1回オナニーして冷静になろうじゃないか。

Text/服部恵典

次回は<バイブはなぜ生まれたのか――治療としての手マンとお医者さま>です。
バイブ、電マといえばラブグッズの王様。でもこれ、実は19世紀後半からあったって知ってましたか?しかもその用途は、治療法としての手マンを楽にするための医療器具だったのです!いったい何を治すための道具だったのか?AVみたいに、治療している間に興奮しちゃうなんてことはなかったのか?歴史をひもといてみましょう!