前回記事では、女優と視聴者の目が合うこと、しかも非現実的なほどに目が合うことによって、あたかも本当にセックスしているかのような感覚を与える男性向けAVの技術について書いた。
今回は女性向けAVの被写体の視線、そして「リアリティの楽しみ方」について書きたいのだが、その前に、みなさん『シン・ゴジラ』は観ただろうか?
『シン・ゴジラ』とAVのリアリティ
いや、私は観ていないのだが。
ぼーっとテレビを観ていたら、松本人志が「ゴジラのドキュメンタリー映画を見ているようなリアリティがあって、素晴らしかった」と絶賛していた。
だが、スタジオがひとしきり盛り上がったあと、感想を聞かれた前園真聖が、ぶっきらぼうにこう言ったのだ。
「ゴジラなんてこの世に存在しないじゃないですか」
水を打ったようにスタジオが静かになる。ちょっと遅れて、失笑が起こった。
「前園はやっぱり馬鹿だな~」と思うだろうか? いやいや、前園は実に正しいことを言っているではないか!
そのキャッチコピーが示すように、ゴジラとは虚構の存在だ。
なのになぜ、人々はみな『シン・ゴジラ』のことを「リアルだ」と評するのか?
「天皇の存在感がなかったからリアルじゃない」「ゴジラが正確に首都を狙ってくるからリアルじゃない」と言う前に、「ゴジラがいるからリアルじゃない」と言う人はなぜいないのか?
もっと言えば、「こんなところにカメラがあるはずがない! われわれのためにフィルムを持ち帰ったのは誰なんだ! リアルじゃない!」と言ったっていいではないか!
馬鹿げたことを言っているだろうか。まあ、そうかもしれない。
我々は、自然に、無意識に、目の前の嘘を嘘だと知りつつ、しかし「本物のようだ」と思い込んで楽しむ鑑賞法を身につけているのだ。これが、前回と今回を貫くテーマである。
もしも、あなたが男性向けAVを観ていて「こんなに都合のいい女がいるわけない」と思ったことがあるなら、それはある意味「ゴジラはいない」論法だ。
そして「カメラ目線でセックスするなんておかしい」と思っていては、少なくない数のAVが観られなくなるというのも、前回書いたとおりである。
しかし、AVを視聴する女性はどうやら、カメラ目線の嘘くささが気になってしまう人が多いようなのだ。