オンナとして必要とされたいから…
イチオウ物書きのはしくれとして、文章に用いる言葉には、自分なりのこだわりを持っております。たとえば、「カラダ目的」ではなく「セックス目的」という書き方をするのが、筆者のモットー。「私のカラダが目当てだったのね!」って、オッパイがFカップ以上で、乳輪はベイビーピンクで、ウエストは60センチ以下で、もちろんオマ○コにもミミズ千匹とかカズノコ天井とかイソギンチャクとか、何らかの特典が付いている婦女子だけに許されたセリフだと思っております。
対してセックス目的って言い方は、ペチャパイだろうと、乳輪が黒かろうと、ビールっ腹だろうと、平々凡々なオマ○コだろうと、全ての婦女子が使える言い回しです。逆から言うと、世の男性たちは、ペチャパイだろうと、乳輪が黒かろうと、ビールっ腹だろうと、平々凡々なオマ○コだろうと、セックスできればオッケーって考え方が主流なのでしょうね。要するに、「オンナなら誰でもいい」って感覚ですよ。
それを踏まえたうえで、ヤリマン絶頂期だった頃は、男性から「セックス目的扱い」されることが嬉しくてたまりませんでした。人間性だとか、社会性だとか、知性だとか、そういった類のあれやこれやをすっ飛ばして、セックス目的! これって、「オンナ」としての部分しか見ていないってことですよね。極端な言い方をすると、「人間性がクズで、社会的にもゴミで、知性ゼロだったとしても、オンナだからセックスしたい」ってことになります。
いや、むしろ当時の筆者は、自分自身の人間性や社会性や知性に、それなりの自信があったのでしょう。そういえば当時、とある男友達に、「菊池さん(筆者の名です)は、女子力はないけど、人間力はある」って言われたことがありました。「そうか自分は、人間性はあるのか!」「ついでに社会性と知性もあるってことで」「だとすると足りないのはオンナとしての部分か!」って結論に達したのだと思います。
「人間性とか社会性とか知性部門で必要とされるのではなく!」「オンナとして必要とされたいんです!」って感情が芽生えたとき、人はヤリマンになるのでしょう。だからこそ、セックス目的な扱いが嬉しくてたまらなかったわけです。人間性・社会性・知性ではなく、オンナ部門で評価されているってことで、当時は充足感を得ていたのでしょう。
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