同性愛は異常な愛だと思われていた。
未だにそう思っている人は多い。
社会に認められたいからといって、私たちはフツーだとアピールすれば問題解決になるのだろうか。
フツーな恋愛をしたところで、差別や偏見はなくなるのか。
ゲイストレート関係なく、愛というのは形のないものだと信じている。
正しいとか間違っているとか、そんな狭い見方で愛は片付けられるものではない。
時代や場所によって愛の形は変わってきたが、どこにでも恋愛はこうあるべきだという同調圧力が存在する。
それを無視して、自分がしたい恋愛を選べば仲間外れになった。
結婚して、子供を持って、家族を築くという選択はあくまで一つのライフスタイルに過ぎない。
それで幸せになる人もいるし、それを選ばない人もいる。
選びたくないのにそれを選ぶしかない人もいて、他の選択肢を知らない人もいる。
愛というテーマについてコラムを書いているが、未だに愛が何なのかよくわからない。
形のないものをいろんな角度から検証してみると、いつも新発見ばかりだ。
そんな複雑なものを箱の中に入れたがる人もいる。
そうすれば、混乱する必要はないと思ったのかもしれない。
しかし、その箱の中身だけが愛だと思ってしまうと、箱に入りきらない部分を否定する人が出てくる。
この「ラブ・イズ・ラブ」のフォトプロジェクトの意図は理解できるが、なんだか自分の愛を狭い箱の中に入れられた気分になった。
形が違っても愛は同じ愛である。
そして、形が違う愛を隠したり、変えようしたり、無視したりすることはない。
違うってことを、ただ認められればいいのに。
そうすればもっと自由に愛を表現できる人が増えるだろう。
Text/キャシー
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