イキたいのにイケない。羞恥心の壁
雑誌やネットの記事でセックスが語られる時、「愛のあるセックス」と同じように理想とされるのが「心も体も裸になるセックス」「理性も恥も吹っ飛ばして二人で没頭するセックス」というもの。
確かにそれが理想だけど、実際にはそんなに簡単に心を開いたり理性を吹っ飛ばしたりとはいかないじゃないですか。愛があればセックスに夢中になれるっていうわけではないし、後腐れがない相手とはいえ恥を捨ててすべてをさらけ出せるというわけでもないですよね。お酒が入れば多少、開放的な気分でできることもあるけど、お酒のせいで感覚が鈍ってしまうこともあります。
大体、私たちは「みんなと同じようにきちんとしなさい」「人前で恥ずかしいことをしてはいけない」と子供の頃から教育されてきて、周りの顔色を見ながら空気を読む生活に慣れているのに、セックスの時だけ都合よく突然理性を飛ばせと言われてもそんな無理じゃないですか? 少なくとも堅い人間の私には簡単ではなかったです。いくらナチュラルボーンスケベなポジティブヤリマンとはいえ、20代半ば頃までは、セックスの最中も冷静な自分がいて、今ひとつセックスに集中できないということがよくありました。
その原因は、「今、絶対変な顔になってるよね!? あぁ変な声出ちゃった…」という羞恥心や、「これでやり方合ってるのかな? もしかして彼が気持ちいいフリをしてくれてるんじゃない?」というテクニックの自信のなさ、それに「イマイチ気持ちよくないけど盛り上がりに欠けるからちょっと声出しとくか」という義務感でした。
中でも特に、セックスの邪魔をし続けていたのが過度の羞恥心でした。【素敵ビッチは一日にしてならず。私が意識高い系処女だった頃】でも少し触れましたが、とにかく見られたくないんですよね。顔も体も。明るいところで体を触られると、「気持ちいい! でもこの角度だと体が見えすぎている!」と思ってしまうし、挿入中にせっかくイキそうになっても「正常位でイッたら、歯を食いしばってるブス顔が丸見えになってしまう! 変な声も出そう!」ということが頭をよぎって急に快感が遠のいてしまったり、中途半端にイってスッキリせず終わったりしていました。
そんな時にあるAVを観たんです。そこにはセックスに没頭してカメラがあることも忘れて快楽をむさぼっている女性の姿が映っていました。壊れた人形みたいに滑稽だったんですが、それがすごく生々しくてエロいと思ったんですよね。
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