大奥に仕える奥女中たちは、屋敷内での好色めいたことが禁じられていたうえに、勤務する「奥向(おくむき)」も基本的には男子禁制でした。この「奥」の空間は江戸城のみならず、各藩の城内にも存在しました。
奥女中たちは日常から自由に外出することができず、恋愛やセックスなど性に関することが抑圧されている一面もありました。そこで疑問なのが、奥女中たちは屋敷のどこでマスターベーションをしていたのか? ということ。今回はそんな奥のマスターベーション事情にクローズアップしてみましょう。
奥のマスターベーション事情
江戸初期の承応年(1652年から1655年まで)の書物だと考えられている『秘事作法(ひじさほう)』は、奥女中に向けた屋敷内でのマスターベーションの方法が書かれている珍本です。著者は秀尼麗(しゅうにれい)という女性であり、備州岡山藩の池田候の奥御殿に仕えていたとされています。原本の行方は定かではありませんが、この書物の翻刻は国文学研究資料館で閲覧することができます。
書物には「これ代々に前例作法となる。然れども、このありがたき御定、特に黙許厳重、秘事作法なれば、表に聞こえざる条申しつけられる。」とあり、我々は「奥」のトップシークレット情報を知ることとなります。
『秘事作法』の内容は……
書物には殿のおちんちんトレーニングなどの記述もあるのですが、今回は省略します。
一人で行うマスターベーションを「一人作法の礼法」と呼び、長い時間正座でお勤めをする場合や、茶事や庭先など立ってお勤めする場合など場面ごとのマスターベーションの方法が記載されています。
今回は厠(便所)での一人作法のやり方を見てみましょう。厠で行うときは、便枠の蓋のうえに座ります。(和式便器に取り外せる蓋がついている)このとき蓋のうえに畳んだ腰巻を敷いて座るとよい。髪の鬢(びん)留めなどに紅の絹を巻き、これを珍宝(男根)の代わりにします。ビギナーは絹布がよいが、中級になると麻や綿の布、物足りなくなった上級者は動物の皮や鮫皮がよいそうです。さ……鮫皮はやばそうですね(笑)。
片手を懐に入れ、乳首を揉み、もう片方の手には唾をつけて陰部を濡らします。珍宝の代用の性具を口に入れて唾で湿らせ、外陰部を優しく撫で回します。
深く挿入したら丸く回すように内部を撫でこすり、二百回ほどで抜き出し、深く大きく抜き差しします。性具を抜く際にさねたれ(クリトリス)をこするように手を離せば、さねたれが性具で強く刺激され、五体が痺れるような感覚に襲われるようです。さねたれを指でつまんで性具を強くこすりあげるように刺激するのも効果的だそう。さねたれ(クリトリス)が本人を裏切らないほどの快感をくれることは今も変わらないですね。
広げていた両股に力が入り、股を閉じてしまうようであれば、無理して足を広げようとせずに、そのままで礼法を続けます。五体がにわかに痺れ、膣の奥が締まるような感覚になり、精水が流れ出たら一人作法終了です。このとき自分の膣から流れ出た精水が濃い色であれば、自分の身体が健やかである印であり、「ありがたき幸せ」とあります。
この書物は中国の房中術の影響を受けていると思われ、快楽を感じている最中の唾液や膣の分泌液、男性の精液には滋養成分があると述べられています。「ありがたき幸せ」である濃い精水が出た場合は、始末紙で拭いて捨てたりなんかしません。この書物によると、性具に付着した精水や指や陰部についている精水は、舐めて体内に戻すようにと述べられています。
現代の感覚ならば、自分の股から出た分泌液を舐めるなんて抵抗がありますよね。当時の人々がどれほど実践していたかはわかりませんが、陰部から出る液が滋養になると書かれた江戸期の性典物は少なくありません。
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