幕末の民衆運動「ええじゃないか」を舞台にした映画
松竹配給の『ええじゃないか』(1981年3月14日公開)という映画が非常に興味深かった。舞台は慶応二年(1866年)の江戸両国。泉谷しげる氏が演じる源次は、横浜港沖で生糸を運搬している途中で難破し、アメリカ船に助けられ、そのまま滞在することになる。六年後にやっと日本に戻ると、桃井かおり氏が演じる妻・イネの住む家に彼女の姿はなかった。同居の父親に尋ねると、イネはずっと源次の帰りを待っていたが、貧しさのあまり自ら身売りに出たという。源次はイネを探し続け、やっと見つけた妻は両国の見世物小屋で“やれふけ太夫”*として活躍していた……。
*後述の性の見世物『やれ吹けそれ吹け』の舞台に立つ女性。
性の解放と民衆運動「ええじゃないか」
この映画『ええじゃないか』のもとになった「ええじゃないか」は、約300年に渡る徳川幕府が政権を京都の朝廷に奉還し、幕府最後の年となった慶応三年(1867年)の夏頃から翌年にかけて民衆たちに引き起こされた運動や、 その民衆たちが発した囃子言葉を指します。この運動の前年は不作や米価の上昇、政治情勢の行く末など非常に民衆にとって不安がつきまとう時期でした。運動は江戸、横浜、名古屋、大坂を結ぶ地域を中心に、各地で広がります。
どこからともなく降ってきた神符をきっかけに、これを祀り、祝い、数日間もの間「ええじゃないか!ええじゃないか!」と叫び、乱舞を続けた民衆たち。現代なら空から神符が降ってきたら「近所の神社から飛ばされてきたのかな?」くらいでスルーするかもしれません。
しかし当時の民衆たちは誰が神符をまき散らしたかより、この非常な事態を“祝い事”だと感じたのです。この民衆たちが踊り狂った背景には「世直しをしたい」という強い願望がありました。伊勢の内宮と外宮の間にある遊里として知られていた古市(ふるいち)の備前屋に奉公していた堀口芳兵衛の残した「ええじゃないか」の目撃記録によると、
「商売をする者は数日仕事を休み、通りすがりの人々に酒をふるまい、奉公人や下女たちは昼夜問わず物を叩いて音を出し、老若男女問わず町中を騒ぎ『おめこに紙はれ、はげたらまた貼れ、なんでもえじゃないか、おかげで目出度』と歌いながら大騒ぎ。面白い面を被り、男は女装して、女は男装。顔に墨を塗り、老婆は娘に仮装、いろんな化け物が大騒ぎ。」
と民衆のカオスぶりを記録しています。
この男装や女装は「ええじゃないか」が起こった各地の記録でも残っており、特に男装は女性たちが髪を短く切ることがあり、最初は黙認していた奉公所もさすがに「男の姿をまねるな!風俗が乱れすぎ!」と思ったようで、駿府では約252名の女性の名前をあげ、叱責しました。
この世直しの背景には政治の情勢だけでなく、人々が抱えてきた性の窮屈さや「女は、男は、こうあるべき」などジェンダーの問題はじめ、従来の常識や日常から解放されたいという強い願いもあったと感じています。映画でも「ええじゃないか」の民衆運動が登場するのですが、お椀で工作して胸をつけた男性や踊り狂う女性たちが、すし詰め状態で叫び乱舞するシーンがあり、民衆の混沌としたエネルギーを感じます。この映画のエピソードによると千人近いエキストラたちが踊り狂ったようなので、その迫力をぜひ見て欲しいです。
- 1
- 2