性癖が認められない現実を受け入れられるのは…

もちろん「見られたくない」というのならば、見せる必要はまったくないし、無理やりに見せろとも言わない。でも、「見られたくないのが当たり前」と言われると、やるせない気持ちになってしまうし、「気持ちが悪い」と言われると、「見られたい」と「見られたくない」のどっちが正しいわけでもないのに、なぜそんなことが言えるのか、とも思う。

もっとも己の欲のすべてを全人類に認めてほしいというのもまた傲慢だろうし、無理な話であるともわかっています。そういう、誰もが我の性癖に理解を寄せてくれるわけではない事実を、決して諦めではなく、開き直って堂々と受け入れられるのは、きっと「理解してくれる人」と「叶える相手」にこれまで出会えてきたからだと思う。ゆえに、最近はシスターフッドが盛んに注目されているけれども、変態同士も連帯していけるといいよね、と。

Text/大泉りか