持ち家だと「持家 死守太郎氏」になってしまう「夫婦と住宅ローン」/カレー沢薫

今回のテーマは「夫婦と住宅ローン」である。

このテーマは前にも書いたとは思うが、やはり人間、金とセックスの話は何度聞いても飽きないものだ。
例え386回目でも、他人の旦那の学歴と、子どもが通っているエスカレーター式幼稚園の話よりは聞く気になる。
そういう話は「そのエスカレーター、下れ」という感想しか出てこない。

そしてセックスの話ができないなら、金の話をするしかない。

前にも書いた通りだが、我々夫婦は一戸建てに住んでおり、ローン期間は27年である。

随分中途半端な数字だと思うだろうが、夫の定年前に払い終わるようにするのと、私を頭数に入れないで計算したらそうなった。
実際その後、私は会社を辞め、無職になってしまったので、その読みは正しかったのだが、そこまで読めたなら、何故「そもそも家は買わない方良い」というところまで読めなかったのか不思議である。
おそらく途中で宅急便とかがきて、読みがそこで止まってしまったのだろう。

私は今、小癪にもライフプランをテーマにした漫画を描いているので、それに関する資料を見ることも多い。

そして、どの専門家も「個人の価値観ですので、一概にどちらが正しいとは言い切れないのですが」と、多様化社会における必須の炎上避けをかましつつ、暗に「このご時世に何十年ものローンを組むなんて正気の沙汰ではない、そんなに大島てるに載りてえのか」と言っている場合が多いのである。

確かに、終身雇用、年功序列が生きていた時代ならいざ知らず、今の世の中30年近く「今の収入が維持できている」と仮定してローンを組むのは、二郎の知る人ぞ知るトッピング「練乳マシマシ」ぐらいスイートな考えかもしれない。

現に私は家を買った数年後に会社を辞めているのだ、もし私を頭数に入れていたら10年も経たず詰んでいる。

昔より遥かに「何が起こるかわからない」という乱世であり、さらに何か起こった時、持ち家は「お荷物」になりやすいのだ

もし賃貸であれば、何らかの理由で収入が下がっても、もっと家賃の安い部屋に引っ越したり、どこかの河川敷を指さして「本日よりここを拠点とする!」と高らかに宣言するなど、迅速な対応が可能である。

逆に、持ち家だと「持家 死守太郎氏」になってしまい、ローンを返すために他で借金をしたりと傷を広げがちなのである。

また、傷が広がらない内に売却するという迅速な行動をとったとしても、我々が生まれた瞬間から年老いて行くのと同じように、現在の日本の住宅というのは買った瞬間から価値が激オチくんなため、売却してもローン残高の方が多く、家を失った上借金が残るという、肉を切らせて骨まで断たれ、ついでに毛も抜けたという状態になりやすいのだ。

さらに困った時の最終手段、国の支援も、持ち家があると「財産がある」とみなされ受けられない場合も多い。
また「離婚」するにも、まだローンが終わっていない持ち家があるというだけで話し合いが3倍ぐらい壮大かつ複雑になってしまい、離婚したいという意志すら挫かれ、終わっている結婚生活を続ける羽目になりかねない。

このように、持ち家というのは、何かあった時、切り札ではなく重荷になりがちであり、最悪自分の息の根を止める切り札になりかねないのだ。

また、生涯独身の人も増えており、結婚していても子どもがいなかったり、いても遠方に住んでいたりで「自宅で看取られて死ぬ」というのが、かなりのレアケースになってきている。

その代わりに「自宅で一人で死んで、しばらく発見されない」というのが、かなりノーマルケースとして食い込んできている。
よって警察、消防、という意味で国のお世話になりたくなかったら、死ぬ前に終身で入れる施設などに入るのが一番確実で安全ということになってくる。

そうなると継ぐ人間がいなければ自宅は処分する必要が出てくるが、タイミングよく売れるとは限らない。
特に日本は人口が減少しているので、なかなか売れないであろうし、売れたとしてもたかがしれている。
もたもたしている内に死んで大島てるに載るよりは、老後も居を移しやすい賃貸の方が良いと言える。