ひとつになれないことを不完全に思うことはない
すごく逆説的なのだが「結婚していると思わないこと」によって、結婚はうまくいくんじゃないかというのが、結婚6年目の実感だ。
冷たいようだが、どれだけ好きな人でも、所詮は他人である。何を考えてるのか完璧に把握することはできないし、浮気されてるかもしれないし、なんなら隠し子だっているかもしれないし。あるいは、いきなり事故とか病気で死んじゃうかもしれない。とにかく、結婚相手は自分じゃないのだから、謎や秘密、あるいは理不尽なことがあって当たり前だと思う。
自分は最悪の場合を考えるのが得意なので、よくない展開ばかり考えてしまうし、はっきり言ってキリがないのだが、だからこそ、いま地球上でもっとも気の合う男ことおかもっちゃんと大過なく生活できていることがうれしい。そういう特別な他人には、最上級の他人行儀で対応するのがわたしなりの愛情の示し方だ。
他人行儀のなにが悪いのか、わたしにはよくわからない。結婚したんだから、もう家族なんだから、とかいって夫婦を「ひとつ」にまとめようとする思想こそ、危険だと思う。
どこまでいってもわたしたちは「ふたり」であるし、ひとつになれないことを、夫婦として不完全だと思う必要もない。たとえば、わたしたち夫婦は、生活時間がズレているため寝室を別にしているが、「まあ、夢の中で会えるわけじゃないしねえ」とおかもっちゃんは言う。なのでお互い好みの寝具&自由な寝相で寝ている。他人に気を遣わないで好きなように寝られるのって最高だし、その最高を許してくれるおかもっちゃんには感謝しかない。いいやつだな~ほんと。
「寝室が別? それって夫婦の意味あんの!?」と思う人にはまるで理解できないだろうが、わたしたちは、お互いが他人であると思えば思うほど、他人と一緒に生きていけてるの、地味にすごくね?! と思って勝手に感動するのだった。これからも、ひとつになんか、絶対になりたくない。
Text/トミヤマユキコ
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