ケンケンケンケン言い合う2人
我が家の構成メンバーは、私と夫と二匹の猫と一匹のトカゲ。そしてサブメンバーに義母がいる。
義母は浮気者のDV夫と離婚後、シングルマザーとして息子を育てあげた。現在はうちから徒歩3分のマンションで1人暮らしをしており、週3回ほどご飯を作りに来てくれる。
義母と夫の会話を聞いて「お母さんって、こんなに口うるさいものなのか」と私は知った。
『ごっつええ感じ』のオカンとマーくんのように、2人はつねにケンケンケンケン言い合っている。
たとえば夫はグリーンピースが食べられない。しかし義母は毎年、豆ごはんを作る。
夫「俺がグリーンピース嫌いなん知ってるやろ!」
義母「体にええんやから薬やと思って食べなさい!」
夫「ほんなら薬飲むわ!」
という恒例のやりとりに春の訪れを感じながら、豆ごはんの豆を私が全部食べる。
また、格闘家の夫はケガが絶えない。
以前「前歯が折れちゃった~」と血まみれで帰宅した夫に「あら可哀想」と同情しつつ「まあ私の歯じゃないしな」と静観していたら、二週間も放置していた。
その間「早く歯医者行きなさい!」「歯医者行くために仕事休んだらカッコ悪いやろ!」「歯無い方がカッコ悪いやないの!」とケンケン言い合う夫と義母を「面倒くせえな~」と見ていた。
そして「これが家族なんだな」と思った。うるさいし面倒くさいこともあるけど、簡単には縁が切れない。
女友達から「年末年始、実家に帰るのが面倒くさい」「餅を食えとか風呂に入れとか、うるさくて」という話を聞くたび、彼女らが羨ましかった。
私はいつも羨ましかった。他愛のない家族の話、たとえば「うちのお父さん、抜けててさ~」みたいな話をされると「やめてやめて」と思った。羨ましくて笑えないから。
本を読んでいても、主人公の家族が仲良しだと「羨ましい」という気持ちが先に来て、共感できなかった。そんな自分が心底イヤだった。
実家にいた頃の母の記憶は、鬱状態で布団に潜りこんでいるか、泥酔して電波な妄想を口走っているか。その状況に耐えられず、私は18歳で親と絶縁して家を出た。
AMの『VERY妻になりたかった母の死』で書いたように、母が死んだ時はホッとした。もう二度と火山の噴火に怯えずにすむと思って。葬式でも涙はまったく出なかった。
義母が死んだら、私は葬式でオイオイ泣くだろう。「もっと親孝行すればよかった」と後悔するだろう。そして義母の小言を何よりも懐かしく思い出すだろう。
結婚したら「お母さん」もセットでついてきた。自分は本当にラッキーだと思う。