「入れ墨禁止」の理由って?

 そもそもなぜ多くのプールや入浴施設で「入れ墨禁止」ってルールが敷かれるようになったんでしょう。

 縄文時代のトライバルな意味合いの入れ墨は別として、江戸時代にはすでに入れ墨が罪人の目印でありました。
地域によって彫られる文字や記号は異なりますが、わかりやすく腕に「悪」と入れたり、何度も罪を繰り返す、つまり更正する見込みのない者にはおでこに「犬」と入れたり(犬に謝って!)。犯罪抑制のための見せしめ的な役割と、入れ墨=「この男、凶暴につき」みたいなアラート機能だったのです。

 明治になって太政官令(1872年)で入墨刑が廃止となって以降は、逆に法律で禁止された入れ墨をわざわざ自分の意志で入れることによって、アウトローなキャラクターを演出したり、暴力団など反社会的な団体の一員であることを誇示したりするのに、入れ墨は都合が良くなりました。
経営側としてはいわゆる暴力団対策として、「法を犯しそうだ」と感じさせるルックスは周囲のお客様に不安や威圧感を与えるので入店をお断りします、とは言えない。だから「入れ墨している人禁止」ってことにしてトラブルを避けている。

 もともとは「善良な市民に危害を加える悪そうなヤツ」を排除するために掲げたステイトメントだけど、そのまま100年以上もその価値観がキープされている。絵柄やサイズで線引きをすることは不可能なため、ワンポイントでも入れ墨はダメ、可愛い絵柄でもダメ、ファッションでやっててもダメ、なんならシールでもダメ、ということになってしまう。
商売してる側がトラブルの予防線を張ってくれている中でなら安心して過ごせる、という市民感情は強い。その感情が束になってまとまると、それが常識になる。
そして自分を「常識的な人間だ」と思い込んでいる人たちからすると、そこから外れているものは恐怖と戦慄の対象となる。

 りゅうちぇるのタトゥーの件に、まったく本人と無関係な人々が「やめて欲しかった」と口に出せるのは、彼が一生をかけて妻と息子のことを守りたい、という強い意志と同じぐらい、あらゆる悪から自分の身を守りたい、と願う人間がいるということを私に教えてくれた。

 きっと今回のコラムを読んでくださった方の中にも、「母親なのにタトゥー入れてるとか頭おかしい」と思う方が大勢いると思う。批判されても、なるほどな、としか言えない。だってその人の考え方を間違ってる、とは私は思わないし、誰だって自分と違う考え方の人を見つけたら「私はそうは思わないよ」と意見する権利はある。(もちろん誹謗中傷はダメだけど!)

 今回の炎上の件に関しては、私はつね日頃から指針にしているりゅうちぇるから新たな強靭さと冷静さを学んだし、偏見に「仕方ないか」じゃなくて、ちゃんと立ち向かう姿に心打たれました。
でも、他人の体なのに、「タトゥーのデザインがダサい」と、もはや批判ですらないセンスの押し付けをしてくる人までいて、そういう感覚でいるのは怖いな、と感じた。
それはあなたの領域ではなく、他人の責任下にある他人の体である。 この認識をきちんと持っていないと、炎天下での野球部の練習やブラック企業の過剰な残業やオリンピックのボランティアなんかを、たやすく美談として消費してしまいそうで。私の身の安全も、あなたの健康も同じくらい大事。

今回は改めてタトゥーについて色々と考えさせられたけど、だからといって「プールめんどくせぇな」という気持ちも変わりません。夏。

Text/ティナ助

次回は<夫婦の老後、どう考えてもお金が足りない!「社会のお世話になる」以外の選択肢 >です。
フリーランスや自営業として働く人には退職金がなく、国民年金の支給額は会社員がもらえる額に比べてとても少ない…そのための貯金が3000万円必要!といわれたって、いつ死ぬかわからない未来のために今はそんなにがんばりたくない!じゃあ、どう備える?