「共感」という重要な栄養素

だが夫がそういうタイプであることは前から知っていた。

ならばもっと共感力のある人間に報告すれば良いのではないか、と思うかもしれないが、残念なことに私はもはや夫以外に現実世界で出来事を報告する相手がいないのである。

「共感」というのは人間の精神にとって重要な栄養素であり、共感が得られると人間は幸せになれるのだ。

そう考えると私が毎日何もないのに薄く不幸な気分なのもうなづける。

逆に言えば「それな」というペラペラの共感一つで相手は幸せになってくれるかもしれない、ということだ。

これほどコスパのいい処世術はないので、相手が何言っているかわからない時でもとりあえず共感しておこう。

しかし人間は「相手が自分の話を聞いていない」という状態にもストレスを感じるため「よくわかんないけどわかるわ〜」などと言ったら逆効果なのでせめて「心から共感しているフリ」をする必要はある。

だが、私も夫に対し、ちゃんと共感ができているか、というと努力はしているが多分「わからないよりのわかるだわ」とか適当なことを言って、相手の喜びを半減させているのだと思う。

そのせいか、夫はバッドニュースも言わないがグッドニュースもこちらに報告してくることはない。

もしかして良いことが何一つないのかとも思ったが、おそらく夫には私以外に私よりもいいリアクションをしてくれる相手がいてそっちに話しているのだろう。

正しい選択である、良いことも相手を選んで報告しないとケチがつく。

基本的に、話はじめが常に「でも」や「まあ」の人間は共感力低めなので言わない方がいい、ソースは私だ。

Text/カレー沢薫

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