ワクワクを実行できる時に体力はなし

そんなわけで今回のテーマは「夫婦と最新家電」である。

現在私はこの原稿をデスクトップパソコンの前においてある液タブの上にiPadをおいて書いている。

なぜこんな額にゴーグルをつけた上にヘッドフォンを首に下げたメガネキャラみたいなことになっているか、というと新しいものを買った時、古いものを捨てるという高度な動きができないからである。
ちなみに別の部屋にはもう一台古いデスクトップパソコン、クローゼットには古いノーパソと液タブ、そして床には古いタブレットが置いてある。

新しいパンツを買っても、向こう岸が見えるパンツを捨てないという程度であれば良いのだが、家電というのは、物によってはかなり大きいため、新しい家電を買えば買うほど家が狭くなっていくのだ。
また家電というのは捨てる際のルールが厳密だったりする、もしかしたら私のパンツも有害物質として特殊な産廃処理場に持っていかなければならないのかもしれないが、家電に比べれば物量がないのでまだ楽だ。

先日我が家のホットクックが突然中井和哉の声で喋り出したりと、最近の家電はハイテクかつイケボである。
買う金があるなら常に新しいものが欲しいし、購入時にはワクワクするものだ。しかし新しいものを手に入れるために古いものを捨てたり、もしくは捨てることができずに部屋が狭くなることを考えると、全く家電という物に心がときめかなくなった。

今使っているiPadもデスクトップが死にそうになったから急いで買った物であり、20万以上した最新のものなのに「箱から出す以前にシュリンクを爪で3分ぐらいカリカリした後はハサミを取りに行かなければならない」「ネットに繋ぐために、また脚立を使ってルーターの謎ボタンを長押ししに行くのか」と思ったら憂鬱すぎて届いてから一週間ぐらい段ボールからも出さず放置してしまった。
おそらく私が中学生とかだったら玄関に出て「休め」の体勢のままiPadが届くの待ち続けるし、シュリンクは歯で開けたと思う。

パソコン程度でこれなのだからもっとでかい家電を買い替えることを想像するとワクワクどころか恐怖すら感じる。
今は夫がいるので、壊れたら買い替えることになると思うが、私一人の時に冷蔵庫とかが壊れても「冷蔵庫のモニュメント」としてそのまま放置し「一切の自炊をやめる」という解決策を取るような気がする。

このように歳を取り体力がなくなると、ワクワクを疲れが殺し、逆に憂鬱にしてしまうの「ワクワクを実行できる時には体力なし」にならぬよう、思い立ったが骨折の勢いで面白そうと思ったことはさっさとやることをお勧めする。

しかし、それでも私はネット中毒のステージⅣ末期ツイッター患者なので、パソコンやタブレット、スマホの類はすぐ購入する。
対して夫は一つのパソコンやスマホを長期間使い続ける。

物を大切にするのは良いのだが、革ジャンのように使えば使うほど味が出るという物ではなく、パソコンは古くなるほど動作が遅くなったりフリーズしたりと、逆に新しいものを買うより高くつく事態を引き落としやすい。

夫のノートパソコンは「注文があってから炊くので遅くなる」と堂々と書いているタイプの釜飯屋みたいな動作をしており、まず立ち上がるまで5分ぐらい膝に両手を置き、ワードをクリックしてからまた5分ぐらい膝に手を置くという、目まぐるしく移り変わりすぎな世の中に一石を投じるようなスローライフ仕様なのである。

夫は寛大ではあるがせっかちなため、自分のパソコンがあまりに雅すぎて感動を抑えきれず、格闘技の観客が足を踏み鳴らす感覚でマウスをガンガンやっている時がある。

これは数少ない私が夫にやめて欲しいことの一つである。
大きな音というのは、立てている方は気にならないかもしれないが、周りは驚いたり不快に感じるし、それが苛立ちから発せられた物であれば恐怖すら感じる。
もし家電の動作があまりにはんなりしすぎていて、イライラしたり乱暴に扱ってしまう、という場合は買い換えた方がいい、ドラム式洗濯機や食洗機を導入したことで終わる戦争があるように、家電の動作がヌルヌルすることで円滑になる家族関係というものもある。

よって、夫はパソコンを買い替えた方が良いと思うのだが、夫のパソコン机には夫のパソコンのもう一つ私が放置している古いパソコンが場所をとってしまっているため、不用意にいうことはできないのだ。

家電を新しくすることで得られる平和はある、だがそれは古い家電という戦争の元を捨ててから出ないと、新しい戦争の幕開けにもなるのだ。

Text/カレー沢薫

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