ケンカも滅多にしないが「仲直り」のエモさがもっと面倒くさい「仲直りの仕方」/カレー沢薫

今回のテーマは「仲直りの仕方」である。
前にも全く同じテーマをやったような気がするが、もしそうだとしたらスーパー担当ボコ殴りタイムのはじまりだが、定かでないし、わざわざ自分が昔書いたものを読み返すというセルフプチ拷問をする元気もないので「そうだったとしてももう1回書けばいいや」という感じで今これを書いている。

仲直りをするにはまずケンカをしなければならない、ケンカなしで仲直りだけするというのは、そういうサービスを提供するお店で「仲直りおセッセという設定でお願いします」と、まあまあ気持ち悪い注文をした時だけだ。

「ケンカするほど仲がいい」などというと、ハナからケンカしない方が仲がいいに決まっているだろうと思うかもしれないが、実はこの説も一理あり、少なくとも「嫌よ嫌よも好きのうち」よりは信頼して良い情報だ。

まずケンカをするという時点で、相手にまだ関心があるということである。
それがなければ、相手とのやりとりを1ターンでも早く終わらせたいため、相手が何か文句を言ってきても「初手謝罪」を出して曙VSボブサップ戦よりも早く終わらせようとするだろう。
言い返すということは相手を「そなた、なかなかの使い手と見た」を好敵手と認めているということでもあり、相手に自分の言い分やお気持ちや理解して欲しいと思っているからでもある。

お互いの異なる主張を戦わせた上、仲直りにまで至っているとしたら、それは高度なコミニュケーションであり、無視や心が1%も配合されていない「ごめん」の一言で話し合いを秒殺しあっているカップルよりはよほど仲が良いと言える。

しかし、相手の関心がないわけでなくとも、ケンカをするというのは年々難しくなってくる。

何故なら「ケンカ」というのは非常にコスパが悪い、コミニュケーション界のアメ車なのである。
まず「怒り」という感情自体、体力と精神力を使う「疲れる」行為なのだ、怒られる方も嫌かもしれないが、怒る方も相当サディズムが強くなければ、怒って楽しいというはあまりない。
それだけの労力をかけて、相手がわかってくれるならまだ良いが、お互い「腑に落ちない」という残尿フェイスのままタイムアップや体力ギレで終了ということも珍しくない。

ケンカで得られるものもあるかもしれないが、リターンに対してリスクがでかく「ただ疲れただけ」という結果にもなりやすいため、それを繰り返すと「我慢したほうがまだマシ」という結論に達してしまう。

「結婚は我慢」と良くいうが、決して苦痛に耐え続けているわけではなく「我慢した方が楽」だからそうしているだけなのである。