それは不謹慎厨の発想だ

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ババア殿はこの1年でめっきり弱ってしまった。寝た切りとは言わないが、横になっている時間の方が長いようだ。元々、活動的でよく働く人だったので、その姿は改めてショックである。

しかし、ババアが弱っていると気がめいるので無理でも野山を駆け巡れ、というのはこっちの都合である。

そもそも「元気で長生きしてくれ」というのも、こちらの希望だ。ババア殿はもうだりーのだ。我々だってだるい時は寝てたいだろう。だが若いころは仕事とか色々すべきことがあるから寝てばかりいるわけにはいかない、しかしもうババア殿はだるかったら寝てていいのだ。

だから、元気で長生きとか言わずに「好きな時にご自由にお死にください」でいいのかもしれない。

とはいえ、やはり見ていてつらいものがある。そしてババア殿に気をとられていたが、よく見たら親父殿も相当なジジイである。聞けば73になったということで、もはやジジイ以外の何者でもないのだが、足元のおぼつかなさや呂律の回らなさはババア殿以上にジジイである。

母上はまだ元気だが、やはり老けてはきている。

流石に神妙な気持ちになった。

私は、ソシャゲに15万もかけて一喜一憂している場合なのだろうかと思った。それより、家族との時間を増やすべきではないかと。そしてその15万で家族のために何かほかにできたのではないかと。

そういう思いが胸にこみ上げ、口から出て、床に落ちた。つまり唾棄だ。

それは不謹慎厨の発想である。

浮かれたり、冗談を言っている人間に対し「大変な人がいるのに不謹慎ですよ」と言う奴だ。

ババア殿の具合が悪いのは心配だし、年老いた両親のことも気になる。してやれることがあったらするべきだろう。だがそれと、半年、臥薪嘗胆の想いで出した土方さんと何の関係があるというのだ。

子どもの給食費を何故ギャンブルに使ってはいけないかわかるか。それは子どもの給食費用の金だったからだ。私がババア殿の祝いの為の金をガチャに溶かしたなら己を責めるべきだろう。だが、ババア殿には別でちゃんと祝いをやっている。

土方さんを出したのは土方さんを出すための15万だ。

むしろこれを家族に使うと言うのは用途外であり、子どもの給食費をギャンブルに使ったに等しい。

ババア殿の具合は悪いし親は老けてるしソシャゲやってる場合じゃねえ、などと考えるのは、子どもが出来たら母親は全てを子供に捧げるべきであり自分の趣味とか時間とか考えるべきではない、と考えるのと同じだ。

そりゃ母親に徹しなければいけない時もあるだろう。だが自分でいていい時間に文句をつけられたり、まして自らが、自分は母親なのにと思ってしまうのは自縄自縛であり、クソもミソも一緒、スカトロが過ぎる。

ようは切り替えとメリハリだ。

本当の不謹慎というのは、この会の間中スマホをいじりFGOをやっているとか、来たる別れの日にビッグサイトにいるとかだ。

よって私は母上が読み上げる、ババア殿への感謝の手紙に、母と一緒に涙し(ババア殿は泣かない、ドライなのである)ババア殿が選曲したババア殿の好きな歌を家族全員で歌った。全然知らぬ曲だったが全力の「ルールルールルー」で乗り切った。

我が実家ながら、なんだこのセンチメンタルジャーニーが過ぎるプログラムは、と思ったが、臆面もないことは本人が生きている内に臆面もなくしておくべきなのだ。死んでからはできぬ。

そして最後極めつけの、私からババア殿への花束贈呈だ。性格が濡れぞうきんなため、こういうことをするとしばらく泣いてしまうのでしたくないのだが、確実にしておくべきだと思ったので「おめでとう」と言って渡した。

言いはしなかったが、やはり元気で長生きしてほしい思いながら、私は実家を後にした。

自宅に戻った私はスマホでFGOを立ち上げ数時間ぶりに15万の土方さんに再会した。

「クソカッコいい…好き…」

人生良い事ばかりではない。悲しいこともあるし、真面目にならなければいけない時もある。配慮も自粛も時には必要だ。だがそれを理由に、全く無関係な楽しいことにまで水を差す必要はないのだ。

ちなみに今回担当から出されたテーマは無視した。

編集部注釈:原稿をいただいた時点では宝具レベル3でしたが現在は無事レベル5まで達しております。

Text/カレー沢薫