正体のわからないモヤモヤ
現在の年齢は33歳とのことですが、今年で31歳になるわたしとは同世代ですね。
いわゆる“アラサー”と括られる年齢って、「結婚」や「出産」といったワードがダイレクトにぶち当たってくるように感じます。
わたしはこの連載をはじめ、様々な場で「恋愛は義務ではないのだからしたい人だけがすればいい」「結婚というかたちに囚われる必要はない」と言い続けています。
社会の風潮も、多様性という言葉が広く浸透し、いろいろな生き方が認められつつあります(己の生き方に他者の承認が必要なのか? という疑問はさておき……)。
とはいえ、自分はこれがいい/これでいい、と強い気持ちで暮らしていても、時に見えない圧力がかかっているような、ふとしたときに息苦しさを感じるような場面はあるでしょう。
たとえプレッシャーに近いものを感じずとも、「これでよかったんだよね?」と自問自答したり、会話の中でのセンシティブな話題を無意識に避けようとしたり、何気ない言葉に傷ついてしまったり、いつの間にか得も言われぬ小さな不安が積み重なっているような気がしたり、これまで仲のよかった友人との関係性に変化があったり……なんてことはきっと誰しもが経験をしているはず。
まだまだ体力はあるけれど、がむしゃらになれるほどエネルギーが有り余っているほどではない。それなりにいろんな経験はしてきたけれど、そこまで腰を据えてどっしり構えていられるわけでもない。
あくまでもわたしの所感ですが、正体のわからないモヤモヤに取りつかれる機会が増えてきたなぁ、と。
だから、相談内容が抽象的になってしまうと仰るあなたの気持ちが、痛いほどよくわかります。
自分の人生をあらかじめ決めてしまわない
少し話が逸れ、個人的な話をして恐縮なんですが、わたしには40代の女友達が数人います。
立場や年齢、置かれている環境はそれぞれ異なりますが、彼女たちに共通するのは「自分の人生をあらかじめ決めてしまっていない」という部分。
それは、根無し草のように何も考えずに生きているという意味ではなく、いつだって自分の幸せを一番に考えたうえで、 フラットな目線で物事を捉え、選択肢を狭めることなく状況に応じて変化を受け入れる姿勢を崩さないということ。
無理強いをされているわけでなくとも、つい自分の年齢を軸に物事を考えてしまったり、世間におけるマジョリティーを気にせずにはいられなかったり、本来そんなものに縛られる必要性はまったくないのに、どうしたって無視を決め込むのは難しい。
でも、そういった中でも、自分の人生をあらかじめ決めてしまわない、という考えを貫いている彼女たちはとてもかっこよく、見習わなくちゃうけないな、といつも思うのです。
友人の中には、独身の人もいます。
40代で独身だと、周囲は「仕事をバリバリやってきたんだね」「結婚に興味がなくて独身を貫くんだね」とつい思ってしまいがちです。
そうやって勝手にイメージをすること自体余計なお世話だろうと辟易するのですが、でも、そういう風に受け取る人が少なくないことは否定できません。
周囲のイメージ通り、結婚に興味がなくて独身を貫いている人ももちろんいますが、中には外野からあれこれ言われるのを避けるために、結婚や恋愛に興味がないという体(てい)にしておく人もいるかもしれません。
でも、その友人は「別に彼氏がほしくないと思っているわけでも、結婚しないと決めているわけでもない。そういう機会があれば、そのとき考えて決めるつもり」とサラッと言ってのけるのです。
他にも、長くお付き合いしている男性がいる友人は、「いい歳だし付き合っても長いんだから結婚しちゃえばいいのに」と言われたとき、「わたしたちはこれでいいの。結婚したくなったときにすればいいんだから」と、なんてことないように言い切っていました。
そういう風に、年齢がどうとか、結婚というかたちがどうとかに縛られず、自分に対しても他人に対しても人生を決めつけることなく、都度自分の幸せを追求して生きているのって、とても素敵だと思うのです。
そして、彼女たちはよく「10年もすれば考え方も環境もこれまでの人間関係も変わる。これは悲しいことばかりじゃなくて、いいことだってたくさんある」と口をそろえて言っています。
あなたに何をお伝えしたいのかと言うと、どうかあなたも自分の人生をあらかじめ決めてしまわないでほしいのです。
あなたは過去に「もうきっと誰も恋愛で好きになれない」という考えから、望むことをやめたんですよね。
でも、最近になって少し虚しさを感じている、と。
「こうやって生きていこう」と決めていたことでも、年齢や環境の変化によって考え方や決意が揺らぐのは当然のことですし、逆をいえばそれはあなたにとって新たな展望がある、ということだと思います。