許さなくても偉いし

人のミスを許せる寛大さがあるのは、素晴らしいことだ。そういう意味では私も、許せる人間でいたい。ただ、浮気や不倫の場合はミスではない。何度も立ち止まれる瞬間があったはずだ。お漏らししちゃったとか、寝坊で飛行機に間に合わないこととは訳が違うのだ。「人を許せる寛大で優しい人」を目指すことは、浮気に関してだけは適応しなくない? と思う。

「確かにミスではないけど、でもたった一回の気の迷いは許せる人の方が良くない?」と思う人もいるでしょう。一理あるなと思います。でもよでも。ちょっと「許す」ってことを優しさだと思い過ぎじゃない?

例えば、浮気を許されて恋人と付き合い続けられたA君と、許されなくて振られてしまったB君がいるとしよう。もう一度気が迷って浮気をする可能性が高いのって、A君じゃない? 流石に同じ恋人と付き合っているときは「許してくれたんだからもうやっちゃダメだ」って思えるかもしれないけど、次の恋人と付き合ったとき「1回なら許してもらえるというデータがあるな…」って、なるかもだよね? それに対してB君は許されず振られてるので、大馬鹿者でない限りたぶんもうしない。ということは、B君の方が成長していることになる。本当に優しいのって、その場を柔らかく収めることじゃなくて、自分を犠牲にしてでも同じ過ちを犯さないようにしてあげることなんじゃないかと思うのだ。 大袈裟な言い方をすると、世界にとって意味があるのは許さないことだ。許さないことで相手に本当に反省させるのがマジの意味での寛大じゃない? だって、親でもないのに人育てちゃってるじゃん。これは偉過ぎ。よって、「許さなくても偉い」証明完了。

まぁ寛大さなんてどうでもいいんだけど、自分の気持ちはどうでも良くない。相手を許すか許さないかを考えているとき、大抵は相手がめちゃくちゃ謝ってきてると思うので「許さないのは可哀そうだな」って気持ちになる。でも待って、まずかわいそうなのは浮気されたあんただよ!! そいつが悲しそうな顔で謝り続けてるのは全部そいつが悪いし、悲しそうな顔する権利ねーだろとも思う。実際に私は恋人が悲しそうに謝ってきているのに対して「悲しい顔やめて! 今悲しいのはあたしだから!! 悲しみを取るな!! もっと犯罪者みたいな顔で謝れ加害者らしく!!」ってキレたことがあります。

その彼は、マジで意味がわからないって顔をしてたんだけど、でもこの“悲しみ泥棒”に関して私すごく厳しいの。許す許さないのせめぎ合いの中で、いつのまにか立場が逆みたいになっちゃことない? なんか彼の方が悲しそうで私が苛めてるみたいになるじゃん、ずっと怒ってると。でもさ、こっちはずっと怒って良いはずなのだ。だってめちゃくちゃ傷ついたんだから。

「許し」があるとしたらたぶんそれは怒りの先にある。私たちは、許すか許さないかを決める前に、もっと怒って良いはずだ。今日怒り終わったと思っても、来週また怒ったって良い。腹が立ったら立っただけ怒ろう。それに付き合い続けられるかどうかで、彼が本当に自分と一緒に居続けたいのか、ただ許されたいだけなのかがわかる。許されたいだけの人は必ずどこかで「いつまで謝ればいいんだよ?」とか言って逆ギレしてくるから、もしそうなったら許さずに別れるべきだと思う。

縦揺れしながら祈ること

あなたが彼と一緒に居続けたい場合、辛いかもしれないけど、でも、許してほしたがりって人として結構やばいから。「いつまで謝ればいいんだよ?」って、そんなもんこっちが聞きたいよ!許したくなくて許してないわけじゃないのだ。自分でもどうしたら許せるかがわからないから苦しんでいて、せめてその苦しみには最後まで寄り添ってほしい。

「一緒に居続ける=許した」ではない。許したいからとりあえず一緒に居続けるだけだ。優しいから許すんじゃないし、寛大だから飲み込めるわけでもなくて、ただ、どうしたって一緒にいたいっていう切実さが祈りになって、それがたまたま通じると、たぶん怒りが鎮まる。祈りって、静かに手を合わせるイメージが強いけど、やりかたはそれだけじゃない。信じらんないくらい踊り狂うタイプの祈りも世界にはある。だから、許す為に、祈りを込めて、めちゃくちゃ唾飛ばしながら縦揺れしたっていいのだ。怒られてショボンとする姿に飲み込まれずに、自分の怒りに正直に過ごしましょう。

TEXT/長井短