少年アヤちゃんが東京を散歩し街の現状を報告するこのコラム。今回は上野編です。
複雑に入り組んだ上野駅を抜けると、どんよりとした巨大な森と、異常性欲者のごとくギラギラした商店街がセットで現われ、失礼ながら「この街にロマンスなんてあるんだろうか…」と思いました。
正直一刻もはやく帰りたいくらいでしたが、春先に想像妊娠というつらすぎる経験をしたメスパンダのシンシンにどうしてもエールを送りたくて、かの有名な上野動物園へと向かうことにしました。
大きな交差点を渡り、浮浪者の溜まり場と化した階段(お雛様みたいだった)をあがり、酔っぱらいのたむろする森をひたすら突き進みます。
広大な上野の森には多くの神社や美術館、有名美大などがひしめいていましたが、人々の欲望や自己顕示欲の渦巻く森の中の空気は異様で、まるで清涼感がなく、また痴漢が多いとの噂もあったりして、進めば進むほど自然に対する漠然とした感謝のようなものが薄れて行く感じがしました。
なんというか、雄大な自然がニンゲンの放つパワーに汚染されてしまっているようで、ダメ押しでオープンテラス式のカフェとかが設置されてるのもなんか寒い。
散歩している犬もなんだか生きるのがつらそう。
それでつい、この土地で咲く花の養分はなんだろうとか思ってしまいました。
香りもくさそう。
また、路上パフォーマンス的なことをしている人も多く、この日特に目立っていたのは、白塗りで和笛を背に、なにかメッセージ性のありそうな、けどいくら見てもなにも読み取れないような、そんなアーティスティック(というより儀式的?)なパフォーマンスをしている男性の姿でした。
観客は白人観光客が過半数を占めており、男性の放つ神秘性のようなものに胸を打たれたような、けど具体的にどことは言えないような、そんな掴みどころのない顔をしていました。
それを見ていて思ったのですが、あれって絶対「和」の放つインチキな説得力のせいではないでしょうか。
例えばもし、男性の恰好が洋装だったらきっとみんな素直に笑って通り過ぎたはず。
なんで「和」ってあんなに重たく、人を黙らせるんだろう。
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