オシャクソイベント六本木アートナイトに突撃!

少年アヤちゃん 東京散歩 六本木アートナイト

 年に一度、六本木で開催される「六本木アートナイト」
その名の通り、ヒルズ~ミッドタウン界隈が一丸となって様々な展示を行うという春の一大イベントですが、一方で「六本木、アート、ナイト」と並んだその眩しさから、まるで「ブース、死ね!」と言われたも同然のような気になり、勝手に一人で傷付いているという方も多いのではないでしょうか。
かくいう私もそうなのでお気持ち非常に分かります…。つらいですよね!

 というわけで今回はそんな皆さんを代表し、一矢報いるような気持ちで、このオシャクソイベントに参加して参りました。

少年アヤちゃん 東京散歩 六本木アートナイト
少年アヤちゃん 東京散歩 六本木アートナイト

 闘志全開のジャンヌダルク面で六本木ヒルズに着くと、早速いくつかアートが転がって(展示されて)おり、そのなかで特に目立っていたのが「他人のトンネル」という作品。
うすい布で覆われたトンネルの、それぞれふたつの入り口から入った客が、交差した瞬間に生まれるコミュニケーションを楽しむ…という非常に人間愛的な作品だったのですが、私はそこらへん全く理解しないまま列に並んでしまい、出番が来てから説明を聞いて戦慄。
そ、そんなこと、絶対やりたくないよ!!!

 しかし、「素晴らしい体験があなたを待っています」と言わんばかりに輝くスタッフの笑顔に気圧され、やむを得ず中に入ると、幻想的なライトの照らす一本道を、向こうからニヤニヤと照れ笑いを浮かべた青年が近付いて来て、私は恥ずかしすぎて叫びだしそうになりました。
なんに対する恥ずかしさなのかというと上手く説明できないのですが、感覚でいうと、無理矢理欧米的な、オープンなコミュニケーションの仕方を良しとする空間に投げ込まれてしまったような感覚。
恥ずかしさと、戸惑いと、そして「ヘーイ!」だなんて絶対言えない己への自己嫌悪…これが一番デカい。
ふと学生時代、外国人留学生を招いたパーティーで、一部の帰国子女しか彼らと打ち解けられなかったことを思い出します。
だったらやらなきゃ良かっただろ! と思われるかもしれませんが、「NO!」と言えないところから既に自己嫌悪は始まっているので許してください。

 すると、どうやらそんな気分に苛まれたのは私だけではなかったようで、続けてトンネルから出て来る人たちもみんな妙にモジモジとしており、現代アートは日本人の悪い部分をあぶり出す装置なのかと思わされました。
というより、そのモジモジしたところを「悪い部分だ」と思わされてしまう装置と言った方が正しいかもしれません。
繊細な我々は考えすぎてすぐに鬱になるので、アーティストの皆さんはくれぐれも気をつけてくださいね!