お金がなくてもひとりでも、哲学と美意識は忘れない。森茉莉に学ぶ、独身女性の楽しい生き方

あまりお金がなくても、ひとりでも

ひとり暮らしの女性 Alondra Olivas

結婚の予定が特にない、独身の30代女性が恐れているもの。それは、安アパートの一室でゴミの山に埋もれながら、孤独死を遂げること――と、いいたいところだが、実をいうと私自身は、孤独死にはあまり不安を抱いていない。たいした収入もなく仕事も不安定なくせに、である。その理由はというと、結婚しても離婚すればひとりだし、あるいはパートナーが先に死ねばひとりだし……という、そもそも論がまずひとつ。そしてもうひとつは、孤独死を遂げた偉大な独身女性の先人が、すでに存在しているからである。

そう、彼女の名前は森茉莉。森鴎外の娘として父親に溺愛されながら育った茉莉は、二度の結婚と離婚を経て54歳で作家となり、1987年、84歳のときに安アパートの自室でゴミの山に埋もれながら孤独死を遂げた。もちろんその死の迎え方は、本意ではなかっただろう。しかし茉莉のエッセイなどを読むと、少なくとも茉莉は、自分の生活を自分の意志で選んでいたし、その生活の中に彼女の哲学も美意識もたしかに存在していたことがわかる。

個人的には、結婚できないことや子供を持てないことよりも、生きていくなかで自分の哲学や美意識を失っていくことのほうが恐ろしい。だから茉莉の亡くなり方を知ったときも、悲惨だとも、かわいそうだとも、「こうはなりたくない」とも思わなかった。「まあ、いいんじゃない」って感じである。なので、自分が迎えるかもしれない孤独死も、そのこと自体は「まあ、いいんじゃない」なのだ。これからはテクノロジーが発達していくので、「遺体が誰にも発見されないまま数ヶ月……」みたいなことは、より起こりにくくなるだろうという期待も込めて。

そういうわけで今回は、森茉莉の『贅沢貧乏』と群ようこの『贅沢貧乏のマリア』を読みつつ、あまりお金がなくてもひとりでも、哲学や美意識を失わず楽しく生活する方法について考えてみたい。

生活が困窮したときこそ思い出したい『贅沢貧乏』

茉莉は、たとえお金がなくても、自分の中の美意識に背を向けないために、「本物バタア」や「とにも角にもいい匂いのする紅茶」や「グレエト・ブリテン産のラズベリイ・ジャム」を買う。壁が汚れて褐色を帯び、畳も変色しているような安アパートに住んでいるのに、自分の好きなものを追求することを諦めない。しかも、それはいい具合に切り取って写真におさめインスタにあげるためなんかではなく、あくまでも、自分のために行うのだ。こういうことができるのは、やっぱり茉莉がなんだかんだお嬢様育ちなのも影響しているのだろう。

実際にはなかなか歯がゆい部分もあったのだろうけど、『贅沢貧乏』を読んでいると、お金がないことすらネタにして楽しんでいるように思える。その妄想力というか空想力はだいぶ常人離れしているので、我々には到底真似できないところもあるけれど、『贅沢貧乏』のこんな一節が私は好きだ。

自分の好きな食事を造ること、自分の体につけるものを清潔にしておくこと、下手なお洒落をすること、自分のいる部屋を、厳密に選んだもので飾ること、楽しい空想の為に歩くこと、何かを観ること、これらのこと以外では魔利は動かない。夜明けに人の居ない空地に立っていれば、毎日千円ずつ空から降って来ると、いうのだったら、魔利は原稿なぞ一枚も書かないかも知れない。

私なんかは、どうしても食費を切り詰めてしまう癖がある。『贅沢貧乏』に登場する文章は、「貧すれば鈍する」余裕のないときにこそ、思い出したいものだ。