どんな恋人もどんな夫婦も “別の道を歩いて育った他人”
このドラマには、あっと驚く劇的な事件や展開はほとんど起きません。
しかし、一見小ネタ満載のムダ話ばかりとも思える軽妙なやりとりの中に、男女の本音や心の機微が丁寧に、巧みに描かれており、私たちの心をザワザワとなびかせます。
その豊かなセリフの数々は、TwitterやNAVERまとめなどのネット上でも、たちまち話題となりました。
たとえば第3話には、学生時代に光生と付き合っていた灯里が、彼との別れを決意した決定的な理由を吐露する場面があります。
それは、灯里が密かに生きる支えにしていたJUDY AND MARYの『クラシック』という曲を、光生が「なにこのくだらない歌。安っぽい花柄の便座カバーみたいな音楽だ」と言い放ったことがきっかけでした。
そのうえ彼は、漁師だった灯里の父がサメに襲われて亡くなったことを知らずに、映画『JAWS』を観ながら「サメに食われて死ぬのだけは嫌だよなあ」と笑って言ってしまったのです。
たしかに光生の言動は最低だったかもしれません。
でも、何がその人を決定的に傷つけるか、何がその人のコアな部分になるかなんて、教えてもらわない限りわかりません。
それを想像力で補えというのは酷だと思います。
そして、そのことは灯里自身も、頭ではわかっているようなのです。
灯里「別に、誰かが悪いとかじゃないの。
ただ、誰かにとって生きる力みたいになってるものが、誰かにとっては便座カバーみたいなものかもしれない」
結夏「みんな他人だから?」
灯里「はい。別の場所で生まれて、別の道を歩いて育った他人だから」
光生は、たまたま灯里の事情を知らなかっただけです。
たまたま運とタイミングが悪かったです。
でも、灯里の気持ちは離れてしまった。取り返しはつかなかった。それが恋愛なのです。
このドラマは、“恋人や夫婦とは、もともとわかり合うことのできない他人なのだ”という現実を私たちに突き付けてきます。