私って恋人?セフレ?「女がカタチにとらわれる理由」/妹尾ユウカ

妹尾ユウカさん

「女はカタチにとらわれ過ぎてるんだよ」
元彼から言われたこの言葉を時折ふと思い出す。

たしかに、女はカタチあるものが好きだ。
婚約指輪はその最たるもので、女が欲しがる最も高価なカタチ。どこから見てもキラキラしてるもんだから“女の幸せ”がギュッと詰め込まれていると信じていた。

このコラムはきっと旦那も読むし、私の最大のファンである義父も絶対に読むけれど、これまで私に関わってきてくれた全ての人が私を育て上げてきてくれたと思っているから、「新婚で昔の男の話? 相変わらずだね(笑)」ぐらいの気持ちで読んでほしい。

「誰かに奪われるかも」モテる男と付き合って…

10歳年上の「人タラシ」な男と付き合っていたことがある。
女にモテていたが、女タラシな訳ではなくて、彼を好いている男友達もたくさんいた。「人望が厚い」ともどこか違って、適切な言葉があるとしたら「人タラシ」だと思う。怖い人でも、だらしない人でもなかったが、みんなが彼に尽くしていた。

愛想やユーモアが特別あるわけでもないから、彼のどんな部分が人を惹きつけているのかは未だに分からないけれど、私も惹きつけられた一人である。

しかし、時が経つにつれ、彼のその最大の魅力こそが、自信のない私にとって“最大の不安要素”になってしまった。「誰かに奪われるんじゃないか」「なんで私といてくれているのだろう」なんて、情けなくて無駄なことばかりを考えてばかりいた。

そんな私のエゴを見抜いたかのように、「これで安心できるなら」と彼はある日、ブルーの華奢な箱から指輪を渡してくれた。やっと、欲しかった未来がカタチとして現れた。

それなのに、なぜか子どもの頃に想像していたような“特別な気持ち”にはなれなかった。「これで安心できるなら」なんて言葉と共に渡す指輪は、ぐずる子どもにおもちゃを与えるのとなんら変わらないような気がした。

私の好きな広告コピーの本に「花よりも美しいのは、花を贈る気持ちです」なんて言葉が書いてあったが、全くその通りで、カタチにはカタチ以上の想いがなくてはならない。カタチに劣る想いで渡された指輪からは、虚しさが漂う。手段として渡すモノを“贈り物”とは呼ばない。

初めてもらった指輪は、心をごまかせるほどの輝きではなかった。