ふさわしい時に、ふさわしい形で、また出会える

だから、仕方がない。と、本を抱いてつぶやいた。
なぜだかわからないけれど気が合って仲良くしたがるのが友人関係だとするなら。なぜだかわからないけれど気に障るようになった瞬間から、友人関係は終わるのだ。それが表面に出るまでに少し時間がかかるだけで。

そう思えるようになったのは父のおかげだ。数年前、とてつもなく大きな、それでいて避けがたい仲たがいを友人としたとき、父は言った。
「大丈夫。お互いにとってふさわしい時に、ふさわしい形で必ずまた出会える。だから今は安心して別れろ。」
簡単に言うな!身が切られるぐらいつらいんだぞこっちは!と、当時は泣きながら心中悪態をついていた。だけど、今はその通りだと思う。

もしかして、人間と人間をつなぐ「関係」というのは、「枝」のようなものではないだろうか。わたしたちは小鳥。同じ樹の、同じ枝に、たまたま降り立った。地面からも、空からも、同じだけ離れたところで二羽は楽しくさえずった。どんな形であれ、片方がその枝から飛び立ったのなら、それはもうおしまいなのかもしれない。
でも、また二羽は出会うかもしれない。はじめに出会ったことが運命なら、別れることも運命で。そんなふうに二人の間に運命が流れているのなら、きっとまた巡り合える。本当におしまいかどうかは、最期の時までわからない。

わたしは大きく伸びをした。父が本をくれたこと、わたしを想っていると知れたこと。そのおかげで、大切な事実を思い出した。この世には、まだ見ぬ大樹がたくさんある!

さっきツイッターを「大樹」と例えたが、あれは言葉のあやだ。小さな小鳥が、生い茂る葉にうもれそうな細い枝の上にいたら、なんだかその幹が立派に見えて、自分がいるのはこの世に一つしかない大樹の枝だと思うだろう。だけどそこから飛び立ち、空から見下ろせば、なんだこんな小さな樹だったのかと思うに違いない。
新しい小鳥に出会うのも、懐かしい小鳥に出会うのも、それは全く別の樹の枝の上かもしれないのだ。
だから、くよくよしてられない。運命がわたしを待っている。少しの寂しさと申し訳なさを持ったまま、明日も羽ばたこう。いつか空を翔ける大鷲になる日を夢見て。今はこの小さな翼で。

Text/葭本未織

初出:2020.07.10