「愛」のその先にある虚しさとは?
激しいセックスの後に残るのはコンドームと、虚しさでしかないのか。
ホアとマチューは何度も何度も肌と肌をぶつけ合い、快楽に溺れていく。しかし、その先には幸せや明るい未来が見えてこない。ある意味、動物番組でも見ているかのように“交尾”を続けてしまう。
恋愛映画なのにトレンディな要素が一切ないのです。
ジャ・ジャンクー監督の『長江哀歌』などの撮影を手がけるユー・リクウァイによる“揺れるカメラワーク”は、容赦なく二人の情事に近づく。生々しくて荒々しい。吐息が聞こえてきそうなカメラは、映像美なんて言えるもんじゃない。甘いセリフは皆無に等しい。音楽が盛り立てるわけでもない。
ラブ・ストーリーには必要不可欠な要素がない本作が映し出すのは、「愛」のその先にある虚しさ。
どんなに文明が普及しても結局、人類はまだ「愛」の正体を掴めていない。
「愛は人間にとって日常的な問題です」
過剰な演出で愛を非現実化しないロウ・イエ監督が語る通り、ホアの目に映る恋愛模様はすべて私たちの日常風景なのです。
レイプ、独占欲、かまってちゃん……まるでダメ男のショーケース
実はこの映画、「こんな彼はイヤだ!」のオンパレードです。
他の男と寝るんじゃないかと疑い、同僚にレイプさせてしまう。自分以外の男と触れ合うと怒り出して、独占欲丸出し。挙げ句の果てに、別れ話を切り出したら「今すぐ死ぬ」と完全にかまってちゃん。
なんでマチューと付き合ったの? どこがいいの?
傍から見ると誰だってそう思う。だけど、ホアはその愛情に踏ん切りがつかない。もはや愛が抜けた情に近い感情が、ホアとマチューを結びつけてしまう。
ホアの仕事に理解がなく、さらに妻子持ちであることを隠していたマチュー。女性なら誰もが歯を食いしばるほど我慢ならない男ですが、その情けなさには妙な憐れみすら感じてしまうでしょう。
破滅に向かう「ラブ」・ストーリーの結末に、残念ながら目をそむけることはできないのです。