鑑賞ではなく、体験する映画
観終わった後はもう、「凄い」としか言えません。それほど、今までに味わったことのない映像体験に満ちています。
冒頭13分間は、映像のカット割りが一切ない。船外で作業しているストーンとマットをまるで浮遊するように捉えるカメラワーク。長回し撮影だからこそ、目撃感と体験性がある。その場にいるような錯覚に陥り、3Dメガネをかけていることすら忘れる。
これは鑑賞ではなく、宇宙空間を体験する映画なのです。
だからこそ、ストーンが感じる恐怖と孤独が手に取るように感じられる。人の身体を貫通する破片が飛び交い、一人漂う宇宙空間。そこに、まるで皮肉のように映りこむ美しい地球と壮大な宇宙。9.11のニュース映像で見た崩壊するビルと綺麗な青空の如く、恐怖と絶景の対比が凄まじい。
スリリングと映像美を合体させた91分間は、緊張状態と感動が同時に押し寄せて意識がこんがらがってしまう。だけど、それが心地いいのです。
映画館がアトラクション化する。それでいて物語がちゃんとある。さらに感動する。これ以上のエンターテイメントは他にあるのでしょうか。映像の可能性を拡げてしまった。すべての人が宇宙に行けることはないかもしれないけど、『ゼロ・グラビティ』では誰もが宇宙を体験できる。そのくらいの位置にこの映画は立っています。無重力だから立てないですけど。
重力と無重力が作り出す“孤独”は、地球も宇宙も関係ない
本作は、“孤独”を真正面から描いています。
あたり一面が真っ暗。地に足が着かない。息苦しい。地球でも、同じような状況があると思います。劇中、ストーンはマットに自らの孤独を打ち明ける。それは地球における彼女の日常。愛する者を亡くし、生きがいを失った一人の女性の孤独だった。
「目が覚めて、運転して、仕事して、寝る」そんな毎日は、まるで宇宙空間に一人放り出された気分なのかもしれない。
原題は『Gravity(重力)』。『ゼロ=無』ではないのです。
厳密に言うと、この映画の重力はゼロではないかもしれない。ストーンが日常で背負うものがある限り、無重力状態でも“重さ”が存在する。人が生きていく中で抱えるものはいつだって重い。地球も宇宙も関係ない。ただの宇宙映画ではなく、人類すべてに共通する“重力”についての映画なのです。
だからこそ、ストーンの生き抜こうとする勇気に心が動き、彼女を重ね合わせてしまうのかもしれない。宇宙だからといって、決して地球とかけ離れた世界の映画作品ではありません。
彼女が受ける、酸素が残り10%という危機感は半端ない。それは携帯の充電が残り10%とはワケが違う。携帯ですら切羽詰まった思いをするのだから、酸素がなくなるなんて想像を絶する。これは最高のカタルシスでもあり、自分が今地球に生きていることを改めて実感できる。
息を吸い、吐く。歩いて、走る。立ち止まる。重力が生んだ行為は、地球在住の生き物たちに許された大きな自由。今、この地で感じている重力はありがたい賜物だと思えるでしょう。