「できる」と好いてくれないの?

そうなってからの毎日はとっても楽しくて、「しっかりしてるね」とか言われるともう最高の気分だし、自然と謎の説教をかましてくる人も減った。でも、やっぱり良いことだけじゃないのよね…減ったのは説教好きだけじゃない。モテも減った。いや、まぁそもそも全然モテなくて苦しくはあったんですけど、なんかこう…はっきりとした形で告白されるとか、デートに誘われるとかじゃなくても…あるじゃないですか…「あ、多分この人は私のこと異性として見てるな」みたいな空気っていうの? 別にその空気があるからって何かが確実に起きるわけじゃあないんだけど、うっすらと、一応ここに種は埋まってるなみたいな雰囲気。

「年相応にしっかりしよう」と心がけるようになってから、この空気がガクンと減った。その時に私が感じたのは「あ?やっぱり男の子って、いろんな意味で幼い女の子が好きなのね」っていう淋しさ。私の背筋が伸びれば伸びるほど、モテなくなったらどうしようっていう不安。24歳なんて死ぬほどモテたいんで、どうしよう、やっぱりできないとかわかんないとか言いまくった方がいいかなぁ? 子供っぽいほうがモテるかな? 今来た道を戻ろうかしらと悩んだ。でも、その時ふと思った。私の「できないところが好き」だった場合、できるようになってしまったらどうなるんだろう。私の弱いところが好きだった場合、強くなったらどうなるんだろう。

どうなるかはわからない。強くなったらなったなりに愛し続けてくれる人だって沢山いる。でも一方で、女の子が強くなったらさよならしてまた弱い女の子の元へ向かう人もたぶん結構いるのだ。多分なんか、プライドとか? そういうのがあるんでしょ?

私による私のための人生

だけどそれがなんだっていうんだろう。私が強くなったから、できることが増えたから、魅力を感じなくなる人がいるのならそうさせておけばいいのだ。私は遂に、「モテるために生きているんじゃない」という大発見をした。私は私のために生きている。今よりもう少しだけ、できることや知っていることが増えて、素敵な人間になれたらいいなと願いながら生きている。それに気がついてから、一気に年をとることが楽しくなっていったのでした。だって、年を重ねれば重ねるほど、私の知っていることもできることも増えていくんだもん。これはめちゃくちゃ楽しいっしょ。しかもヤンキー的には、やっぱ年とるとその分ナメられなくなるしな。私が今一番欲しいのは貫禄。貫禄のある年の取り方をして、「クッッッ…強いな……」と言われるのが当面の夢です。

26歳。この辺りの年齢は、「世間一般」っていう、どこにいるのかわからないけど確かに存在する集合体から「アラサーじゃん」と型にはめられだす年齢で、「結婚しないの?」とか「子供産まないの?」とか「このままだとやばいよ?」とかって勝手に指さされておもちゃにされる年齢だけど、それに翻弄される必要なんてゼロオブゼロだ。「自分のために生きてるの。あなたはどう?」って聞き返してやろうよ。そうやって、みんなで気高く年を取って生きましょう。

Text/長井短