「悲しいのに笑うのそろそろやめたい」私は私が守りぬこうよ

長井短の画像

3月に入ってかなり暖かくなってきましたが、皆さん、花粉怪獣の襲来に参ってませんか?私は365日鼻炎なので、花粉が飛んでも通常通り鼻が詰まっています。こういう時いつも、弱いってことが強さに変わるね。そんなどうでもいい話は置いておいて、3月といえば〜?お雛様〜!そしてそして卒業式〜!学生じゃなくなってからも、3月になんとなくこの1年のこと、なんならこれまでの人生のことを振り返りがちなんだけど、皆さんはどうですか?そんなわけで今回は振り返り合戦、いくよ〜!

大好きな人たちのいる世界

ネガティブキャラで軽く跳ねた私だけど、こう見えて結構自分のことが好きだ。それは多分、どんなことがあっても愛してくれる家族がそばにいてくれたり、私みたいなやつと仲良くしてくれる大好きな友達がいてくれたからで、そこに関して本当に感謝しかない。悲しいことや辛いことがあっても、大好きな人たちがこの世界にいるっていう理由だけで、明日が楽しみになる。

「意見はケツの穴と同じ。誰にでもある」っていう言葉を外国のテレビ番組で聞いて以来、私はこの言葉にかなり救われていて、人に何を言われたとしても、「あ、この人にも肛門はあるからとやかく言ってくるのも当然ですな」と思えるようになった。否定的な言葉を投げられても、自己肯定感に響いたりしないし、それってかなり強いことだ。ありがとう外国のテレビ番組。
とは言っても、この言葉に出会う前に言われた暴言ももちろん沢山あって、そのことを私は今でも恨めしく覚えていたりするのだ。

蘇る劣等感

小学生の時、クラスで一番最初に「消しゴムで消すと色が変わるペン」を手に入れた私は「その色キモいね」というめちゃくちゃ雑な攻撃を受けた。小学生にしても雑すぎだろ。なんかもっと他にあるだろ。と今なら笑えるけど、あの時の私はすぐさま「こいつは敵」警報が体の中に鳴り響いて、咄嗟に「ぺんてるに言えばぁ?」と反撃に出た。全然反撃にならなかったけど。

中学生の時、仲良しの香織ちゃんが鼻息荒く私の席に来て「なんか内臓脂肪が多そうとか言われたんだけど、マジで意味わかんなくない?!」と言った。本当に意味のわからない、斬新すぎる悪口で一瞬吹き出しそうだったけど、香織ちゃんはすごく可愛い女の子だったから、「内臓脂肪が多すぎる」っていう、もはやユーモアになっている悪口の中にきちんとした敵意が渦巻いているのを感じて、やるせなくなった。
高校生の時は、ほとんど喋ったことのない同級生が急に「背が高いってだけでブスだよね」と言ってきた。私は・・この子に一体何をしたんだろう・・と思うのと同時に、「この敵は確実に叩きのめしたい」という憎悪が自分の中に湧いて、「ちんちくりんみたいに背が低いね〜」と言いそうになったけど既のところで堪えた。そんなこと言ったら戦争が起きる。

これらの思い出は今となっては全然笑える思い出だ。思い出としては。でも、この時にかけられた呪いみたいなものはなかなか消えないし笑えない。人と違うものを持っていると気持ち悪がられるんじゃないかとか、背が高いとそれだけでモテないんじゃないかとか、そんなことないはずだとわかっていても、心の何処かに引っ掛かりができてしまっているのだ。