本質の欠いた「恋人ごっこ」

 僕がしていたのは「ヤマシタトモコごっこ」に過ぎない。もっといえば「恋人ごっこ」だ。つまりは、外側だけ真似して満足していた。いっしょに寿司屋に行くという発想もなかった。考えてみれば、一緒に行ったお店だってドラマや漫画の真似にすぎない。不安だらけな初めての交際を模倣で埋めて、必死に「よくある物語の1人」になりきろうとしていた。

 おそらく別に、真似することそのものが悪いわけではないとは思う(完全オリジナルな恋愛・性愛などありうるだろうか?)。問題は、好きな寿司ネタを教えあうことの本質を、僕が理解していなかったことだ。なんでもないことで笑いあえること、「ああ、   が好きなんだ」と知るだけで、僕のなかに恋人のかけらが増えていくこと、「   」を見かけるだけで、恋人を思い出すこと、その楽しみ。

 僕はこの文章を、「『付き合う2人はお互いの好きな寿司ネタを知らなければならない』と思っていた」と過去形で書いて始めたけれど、本当は今でも、好きな寿司ネタの話がしたい。また誰かと付き合っても、やっぱりしてしまうだろう。憧れなのだ。

 でも、今度はちゃんとずっと覚えていたい。結局また聞きかじりの真似だとしても、良い感じの寿司屋にもいっしょに行こう。そしてサーモンではなく、通っぽいネタが好きだと言って格好つけるのだ。なんだろ、芽ネギかな。

Text/服部恵典