気を失っている「私」はどこにいる?

不安で、憂鬱で、でも偏頭痛は「死にたい病」じゃなくて、実は「死にそうになる病」なのです。
目を開けると痛みに耐えられないので、仕方なく闇のうねりを見つめていると、痛みに意識が乱されて、次第に暗闇の中に取り込まれてしまいそうな気がします。痛みと同じように、自分の中に自分にもコントロールできない領域があって、痛みによって自制心を失うことで、そっち側に行ってしまいそうな気がするのです。

痛みが極限に達した瞬間、気絶する寸前に恐怖が弾けて、私は「死にたくない!」と思います。死にたくない!

気を失って体は眠りに落ちるのに、意識は体から手を離してどこかへ飛んでいってしまうような予感がするのです。

生きててよかった。

そんなこと滅多に思わないのに、意識が戻った時は憂鬱だったことも忘れて、いつもそう思います。生きててよかった。清々しい気持ちで。痛みも嘘みたいになくなって、倦んでいたはずの日常が素晴らしいものに感じられるのです。

頭痛外来でじらじらした予兆は「閃輝暗点」と呼ぶこと、それから頭痛がしたら我慢しないで薬を飲んだほうがよいことを教えられました。

でも不思議な気がします。薬によって自覚せずに済んだ私の痛みは、どこへ行くのかわからないからです。なんとなく、完全に消えるわけではなくて、私が感じなくなっただけで私のなかのどこかには存在しているような気がします。
それと同じように、痛みの限界を超えて気を失っている時の「私」は、一体どこにいるんでしょう。意識が戻ると、あんなに清々しい気持ちになっているのです。
なんだか憂鬱と恐怖が底を打つ瞬間に、普段は踏み込めない領域に行っている気がして、少し見てみたいような気もします。

Text/姫乃たま

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