「さよならしたから、もういいの」
それから私は何度も伯母と間違えられ、時には「お嫁さんよね?」と聞かれ、祖母は「お孫さんがいるの!」と驚かれていました。
しばらくして、須藤さんは遠くに住む妹さんの家で、一緒に暮らすことになりました。
店を閉店する日、お店には久しぶりにたくさんのお客さんが集まったそうです。賑やかな夜に、祖母は須藤さんと手を取り合い、さようならを言って、お互いに少しだけ涙を流したといいます。
予想外に寂しい思いをしたのは私で、しばらくして店の窓からポスターが剥がされると、外から初めて店の中が見えました。ずらりと貼られたポスターに目が慣れていたので、随分と寂しく見えました。
二階の須藤さんが住んでいた部屋も、これまでちっとも意識したことがなかったのに、カーテンが取り外されて初めて、ずっとそこに須藤さんの気配があったことに気がつきました。思えば、私が生まれた時からずっと同じように、この店も部屋もあったのです。空っぽになった窓を眺めて、私の胸もがらんどうになりました。本当に人っていなくなっちゃうんだな、と、知っていたような気もすることを改めて思いました。
「さようならしたから、もういいの」
祖母は言います。ふたりはもう、いつでもどこでも会いに行ける、大酒飲みのふたりではなくなっていました。絶対にもう会えないわけじゃないけど、遠くへ引っ越したから、もう会えない。いつしか子供のように戻っていたのです。
子供から大人になるにつれて、いろんなことを知って、そして覚えたことを少しずつ忘れて、人は胎内にいた時のように、人生の印象深い思い出に包まれて赤ん坊に戻っていくのでしょう。
寂しくないわけじゃないけど、「もういいの」と祖母は本当に思っているようでした。だって人生ってそういうものだから、という祖母の声が、その横顔から聞こえてくるようです。
Text/姫乃たま
次回は<山に登るなんて思ってなかった…はずが気付けばまた登りたくなっている>です。
昔から運動が苦手で、山に登るなんて考えもしなかった姫乃さん。東京でインターネットを通した情報ばかり触れていると「なんでも見れるけどどこにも行けない」という閉塞感に苦しくなります。そんな時に友達に連れられて登山をしてみたら、今までにない充足を感じました。姫乃さんが登山を通して学んだこととは。