高嶺の花に恋する利点
芸能人や二次元のキャラクター、謂わば仮想世界の人々に恋をする。
不毛なようでいて、いいことはたくさんあります。例えば街中や劇場、あるいはインターネットの海の中で、簡単に彼の笑顔や活躍している姿を見られること。とびきり魅力的な仕草や、彼が放ったチャーミングなセリフを、何度も再生して眺めていられること。『このひと月を生き抜けば、来月はコンサートに行ける』『落ち込んでしまったときは、この曲を聴いて元気を出そう』と思う度に、彼が常に隣に寄り添って、励ましてくれているように感じられます。
ケンカもしなくて済むし、文春砲が轟かない限りヘタにヤキモチを焼かなくて済みます。オナラをしたとか、デートで死ぬほどダサい服を着てきたとか、一緒に入った店で店員さんに横柄な振る舞いをしたとか、些細な理由で幻滅することもありません。
一般人と付き合うと、なかなかこうはいきません。可愛いくてたまらない表情もカッコよくて惚れ直してしまったひと言も、何度も見せられるとさすがに飽きてきます。最初はカンペキに思えても、デートを重ねればお互いにアラだって見えてきます。相手にも生活がありますから連絡も思うようにつかないし、デートもファッションも将来も、こちらの思い通りにしてくれるとは限りません。私が体調を崩したり、何かに追われて疲れ切っていたりするときにすかさず寄り添ってくれるわけでもなく、彼は彼で他のことに夢中だったり、なんか知らんけどイライラしていたりして、互いに想い合っているはずがすれ違うことも日常茶飯事です。
……と、こうしてみると現実の恋愛で疲弊している私の不満を並べ立てたような感じになりましたがそれは一旦置いておきましょう。
中居くんが魅力的に見える根本的理由
芸能人やアイドルなどのスターが、そこらに転がってる一般人男性よりも魅力的に見えてしまうのは、全くもって当然のことです。
なぜなら芸能人やアイドルなどのスターは唯一無二の魅力と存在感がある人達だから……というだけではなく、ファンに好かれること、ファンの期待にこたえ続けること、ファンを喜ばせることが他ならぬ“仕事”だからです。
芸能人のイメージや人柄なんて所詮は虚構! などと乱暴なことを言うつもりはありません。彼らが世に生み出す素晴らしい作品やキャラクターそのもの、それを受けた多くの人が抱く感動は、その人にしかもたらしえない成果であり、魅力に他なりません。
ただ、芸能人だって人間です。カメラが回っていなくてファンの目も届かないところでは、カッコ悪い瞬間もあるしオナラもするし、身勝手な振る舞いをする場面もたぶんあります。もし付き合えたとしたらケンカもするし、幻滅もするでしょう。中居くんなんてまりあんぬさんとは27歳差ですから、思った以上に猛スピードで老けていく姿を目の当たりにするかもしれません。
それは誰と恋愛したって同じこと。同じクラスのガキっぽくてバカな男子や、何が楽しくて生きてるか分からない学校の先生や、なんか汚くてクサいお父さんと中居くんはみんな同じ、人間の男性なのです。
恋愛とは、相手のそういった不都合な部分も受け入れられるほど愛すること、あるいは不都合な部分が目に入らないほど恋い慕うことです。その人すべてを自分のものにしたいと願うものです。みんな軽々しくやっているようでいて、実はなかなか大それた所業なのです。
恋を諦めろと言うつもりはありません。ただ、他の男性すべてを切り捨ててしまうほど、他の何も手につかなくなってしまうほどその恋に溺れるのはやや早計だということです。メディアで知ることができる面以外にも、中居くんという人物そのものを知ってからでも遅くはないということを、覚えておいてもらいたいのです。
対象が何であれ、それがどんな種類の感情であれ、胸を焦がすほど夢中になれる何かを得られるということは、尊いことです。それによってクソみたいな日常も、彩りあるものにガラリと変貌します。生きる理由や目的が明確になり、自分という存在がより強固なものになります。
3年もその気持ちを一生懸命、抱き続けたまりあんぬさんはすでに素晴らしい資産を手にしているのです。