恋愛に悩める女性のみなさま、ご機嫌いかがでしょうか?

“どうして私は、女であることを、おおらかに正々堂々と楽しめないのか”

中村うさぎさんの『私という病』という著作の冒頭の一文だ。彼女の奔放で豪快なパブリックイメージをことごとく裏切っていくこの本は、彼女自身の自意識に対する深い内省と、社会(特に男性)に対する深い洞察に満ちている。九年前にすでに男の自己正当化病と、女の引き裂かれ症候群についても喝破している。

僕は、女の子が、好きだ。

十代の前半は男友達がいなかった自分を助けてくれた「感性が合う友だち」だった。性に目覚めた十代の後半は、強い刺激と他人と深く関わる一端を経験させてくれ、同時に自尊心を満たしてくれる存在だった。二十代の前半はゲームのように口説きのプロセスを無邪気に楽しんでいた。そして二十代の中盤、いまの彼女に出逢った。

ただ、関わっていく相手は変わっても、一貫して自分は「この人は何を思っているのだろう」と感じようとしていた。他人とのつながりを、他人とは何かについての多くを、女性を通して学ばせてもらった。

二十代の後半に差し掛かった頃、恋愛についての文章を書くようになった。最初は男向けのモテ記事を、媒体で連載を持たせてもらうようになってからは女性向けに「身もフタもない男性の本音」と「本当の恋愛は何か?」についてを。

スタンスとしてシビアな書き方をさせてもらっているが、女がダメなわけではない。男がダメなわけでもない。ダメな女がいて、ダメな男がいて、他人のせいにして、自分を変えようとしない人たちを払拭したいのだ。

世間では安易なモテテクが掃いて捨てるほどあふれている。その背景には「男に選ばれる女になろう」という思想がある。多くの人が気づいているように、恋愛の本質はそこではない。本書ではそれをなるべく丁寧に書いていこうと思う。

『恋愛は最高に楽しくて、人生を充実させてくれるもの』。

自分以外の、それも家族ではない他人と、こんなにも深く心を通わせあい、本気で言葉をぶつけあい、自分のことを知ってほしいと切望し、相手のことをもっと知りたいと願う。これは恋愛以外ではありえないことです。

ただ、自分のまわりの男女の恋愛を見渡したとき、現実は甘くない。特に、アラサー・アラフォーまわりは表面上、充実しているように見えていても、心のどこかで満たされない気持ちを感じていたり、誰かとつながることを諦めてしまっている人が数多くいます。

それはそれなりの恋愛経験を経て現実を知ってしまったこと、世間が与える強迫観念に押しつぶされて、自分が何を大事にしたいのかが分からなくなってしまっているからのように俺には思えます。

そんな人たちにこの文章が届いてほしいと願っています。

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今回は序文からの試し読みでした!
次回もお楽しみに!

Text/桐谷ヨウ