男性観を歪める幼少期の思い出
危ないですねー、危ないですねー、いやあ危ないですねー。
幸いなことに私はDVの男と付き合ったことは無い。
でも男に手を上げられることへの抵抗がおそらく人よりも少ないし、乱暴な男の言動への嫌悪感もあまり生まれない。
父親の影響が色濃いなあ、と思う。
本当に名誉のために繰り返したいが、父親は粗暴な男でも無ければ下品な男でもない。とても優しく子煩悩でユーモアのあるとてもできた男性だ。間違いなく最高な父親だ。ただ、なのに、ほんの小さな「愛されていない感」がこじれ、私の男性観を歪めた。
悲しいかなこれはきっと本当だ。
最近「Sな男」の描写が街にあふれている。ドラマに漫画に、Sばかりだ。
そういう男に惹かれちゃうのは、何か男親との関係に理由があるんだろうなっと思います。
「壁ドン」なんてあんな支配・被支配の関係に萌える女も、自然にやれちゃう男も、どこかいびつだ。
自分もSな男に弱いからこそ思う。
男親にされたかったことを、もしくはされていたことを、求めてしまっているのだろう。
さて、もう一点。男くさい人に、「テキトーに扱われる」とコロっと行ってしまう問題。
これもまた、恥ずかしいかな家庭環境が起因している。
言ってしまえば、「テキトーに扱われる」状態が、私にとって「心地よい」のだ。
なぜなら、それが私にとって「自然な状態だから」。
末っ子の私は家族の中でぶっちぎりのバカで、「そらみには分かんないよね」という特別枠をもらっていた。
それは単なる「末っ子を家族みんなでかわいがる図」だったのだが、受け手の方からすると、「1人だけ人間として扱われていない感」になったりもする。
その状態がとても気持ちがよく居心地がよく、私にとっての通常状態だ。
そうするとどうなるか。
テキトーに扱ってくれる(物みたいに扱ってくれる)男性に惹かれ、大事にしてくれる男性からは引いてしまう。
付き合いがうまくいきはじめると「あれ? なんか居心地が悪い」とその関係を放棄してしまったりする。
もう、バカヤローだ。私は、大事にされることに慣れていない。
嫌、言い換えると、「テキトー状態」を大事にされていると勘違いし、本当に大事にされると「あれ、どうしたらいいんだろう」となってしまうのだ。
幼き頃、恐るべし。
でも、だ。いい加減そんな状態を卒業したい。No more 男くさい男。No more 人をテキトーに扱える男。
そんなやつら、キュンとするにはするが、それだけなんだ。
全然考え方合わないし、倫理観もそぐわない。
そういう人達と、本当はもう一緒に居たくないし、人生捕まりたくない。
好きなタイプが見つかるかも!