「こういう人に惹かれる」の棚卸しで見えてきた、好きなタイプの思い込み現象

舘そらみ 応用のきかない恋愛論 タイプ コンプレックス 男 愛 GU / 古天熱

 ある女性歌手の10年ほど前のインタビューを読んでいたら、「目の大きい男性がタイプ」と答えていた。
その歌手はそのあと整形手術を施し、今では以前とは比べ物にならない大きな目で活動している。

 結局人間は異性(性の対象性)に自分のコンプレックスの解消を求めたり、幼い頃の環境を投影したりしてしまうんだろう。
「こういう人に惹かれる」には、必ず何か理由がある。
自分を実験台にして考えてみようと思う。

 包み隠さず申し上げると、「男くさい人」に弱い。さらに、男くさい人に「テキトーに扱われる」と、充足感を感じてしまう。これを読みといてみよう。

「男くさい人」に惹かれる理由、それは、、、、、恥ずかしいかな、父親ではないかと思われる。
私の愛すべき父親は、とんでもなく男くさい男だった。
完全なるワンマンであり家長であり、人に強くあたりがち。
努力の塊のような人でもあるので、自分に絶対的な自信がある。とにかくブレず、泣き言や愚痴など聞いたことが無い。もう、グイグイグイグイグイグイ行く男だ。

 ほら、私は、こんな男に無条件で惚れてしまう。
どう考えても父親像を追い求めているとしか思えない。その根底には、「もっと父親に愛されたい」と思っていた幼き頃の思いが見え隠れする。だから未だに父親に似た人に惹かれてしまう。
トラウマ化するような生い立ちではなく至って普通の家庭だったのだが、それでも確実に父親は今の私に影響を及ぼしている。

 父親は、たまに手を上げる人だった。父親の名誉のために言いたいが、それはごくたまのことであったし、理由もしっかりあった。その理由は、「父親の不安感が高まった時」だったように思う。
幼い頃、私はとにかくよく迷子になった。
何かに興味を持つと回りが見えなくなり付いて行ってしまうので、かなり時間が経った後に自分がはぐれたことに気付く。
不安で胸いっぱいなりながら両親を探して探して走り回って、やっと見つかった時に、よく殴られた。
涙こらえて必死に親を探して、「ああやっと見つけたあ!」と駆け寄って抱きつこうとした時に殴られる。もう、子供の立場としては「うそん!」である。
そういうタイミングで殴る父であった。その殴る理由が怒りではない何かだということは子供心に気付いていた。するとどう思うか。「お父さんは私のことが心配だから殴るんだ」→「私のことが大事だから殴るんだ」→「殴られるくらい愛されているんだ」になりがちなのだ。本気で愛してもらいたいなら…