傍からドヤって見えてしまう行動
スタバでMacを得意顔で開く人のことを、「ドヤラー」と言うらしい。
なんと、スタバでMacを開く行為自体を「ドヤリング」とも言うらしい。
そんなこと言っちゃったら、私の周りにはスタバでMac開くような人ばかりだ。もっと言うと、私もスタバでPC開くし(残念ながらレッツノート)、電車とかでもすぐPC開いちゃうんだけど、これもドヤリングではないだろうか。まず、パソコンをPCとか言っちゃうのってかなりドヤリングではないだろうか。
どうも、ほぼほぼドヤラーの舘そらみです。だてそらみと読みます。
怖いですね、本人の自覚が無くても、ドヤリングしてしまっていることってありますよね。
スタバでMac開いている人だって、得意げに思ってる人は少数だとは思うんですけど、傍からだと「ドヤってる」って見えること、あると思うんですよね。
例えば私は今、本が立ち並ぶブックカフェに居るのですが、もうこれ、かなりのドヤリングでしょうな…。本があると、創作脳が刺激されるから居るだけなのに…ああもう創作脳なんて言葉が、刺激なんて言葉が、ある意味ドヤっている!
本人はただ便利だから使っているだけでも、それを使わない人からはドヤリングだと思われちゃうものって結構ある。
例えば、今私のカバンの中にも、ブックカバー・万年筆・緑の紙のノート・スケッチブックが入っている。全て便利だから持っているだけなんだけど(ブックカバーには付箋が収納されている)、きっとある人達から見たら盛大なドヤリング。後ろ指を指されてしまう。
たった1年の会社員生活を辞めてから8年。会社員の友達の会話を聞いているとちょっとクスリと笑ってしまう。“上司が~”、“プロジェクトが~”そんな一言一言がなんか“ごっこ”を見ているような気分になるからだ。だって、そこで使われている言葉たち、別の畑にいる私にとっては嘘みたいなやりとりだから、「いやいやいや、おかしいから!」ってツッコミたくなる。でも、当人たちは大真面目。日常会話の日常用語。
冗談だろって言葉を私も恥ずかしながら使っている。夜に会おうが「おはようございます」、テキレジ・ゲネ・マチソワ・コゲ…なんだそりゃってカタカナを普通に多用している。「ちょっとケツあるんでマキでお願いします」なんて言葉を、本気で使っている。ドヤってなど居ない。でもきっと、ドヤって見える。
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