「多様性受容」が広がる一方でしておいた方が良い覚悟

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LGBTフレンドリーとか人種や宗教、思想に対する差別は良くないという考え方が世の中に広がってきています。

私は直接的には恩恵を受けていませんが、間接的にはこの傾向によって恩恵を受けている部類なので(この連載が決まったのもその恩恵だと考えています)、もちろんこの流れを応援していますが、時々、多様性受容というのが何かのオシャレアピールの一環に使われているのをみると、大丈夫かなという危惧も覚えます。

悪気は全くないのでしょうけど、受け入れをしてもらっている側の立場に立つと気になることが幾つかあって、例えば、
「大丈夫ー、アタシ、オカマちゃんの友達がたくさんいるし、そういう人とも仲良くなれるよー」
なんて発言をたまに聞くのですが、まず、大丈夫ってなんだよと思いますし、オカマちゃんという表現は差別用語だし、仲良くなれるよーっていうのも上から目線の発言です。

まずこんな人とは仲良くはなれないのですが、ファッションでも良いので、受け入れるという既成事実を積み重ねるのが大切だと思い、にこやかに対応することにしています。

このファッション性というのは受け入れをされる当事者側の方にもあって、LGBT関連の運動を多様性受容の最先端の旗振り役で進んでいる自分のアピールに使ってしまおう、あわよくばそれをビジネスに使おうというものを感じる時もあります。

たしかに気にはなりますが、多様性が社会に広まるにはこういうやり方でないと届かない層もいると思い、足を引っ張ることなく、笑顔で黙認しています。