悲しみと優しさの再検証
地震が続いて不安ですね。
被災された皆さまが1日も早く日常を取り戻せるよう、余震が1日でも早くおさまるよう、東京からお祈り申し上げます。
私が今できることは目の前の仕事を粛々とこなし、今までと変わらない消費を続け、経済を回し続けて、できる範囲の支援をすることだと思っています。
だから不謹慎という言葉に臆することなく、女装を続けます。
さて、今回の震災も私に多くのことを教えてくれました。
日常はいつだって突然壊れること、非日常はとてもストレスがかかるということ、そして何が起こるかわからないからできるだけ後悔の少ないように日々を過ごした方が良いこと。
全て基本的なことなのですが、日常に追われていると忘れがちなことです。
不幸な出来事というのはとても辛いですが、唯一良い点があるとするとこういう基本的なことを思い出させてくれることです。
悲しいことは悲しいで良い
悲しい出来事は無理にポジティブに捉えない方が良いと私は思っています。
悲しいものは悲しい。
時にその感情に溺れてしまっても良いと思うのです。
ただね、
悲しいという感情も飽きるのです。
飽きたら次のことを始めたら良い。
「日にち薬」という関西の言葉があります。
とても美しい日本語だなって思って、私は大好きなのですが、時間をかけて消化しなければならないことも人生にはあって、反芻しながらゆっくりと忘れていくのも、ある意味贅沢なことだと思います。
と言いつつも、仙人や妖精でもないので、お腹は空くし、生活もあるので、悲しいことがあっても、仕事と消費は続けた方が良いと思っています。
手や身体や頭を動かすと、他の感情も刺激され、頭が活性化して、自分の中で悲しみの処理が進みます。
そうやって日々を過ごしながら、いろいろなことを飲みこんでいくのが人生です。
時間をかけることで、できるようになることがたくさんあります。
大きい、無理だと思っていたものが、いつの間にかすっぽり入るようになっていく、それが人生です。
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