伝えられる喜び

 私は女装には珍しく子供が好きなので、子供がいる人がうらやましいなと思います。
子供を産んで育てるというのはとても大変なことだと思いますが、子供の成長を通じて、自分の人生を振り返ったり、気付きをもらったりすることができ、そのことは人生をとても豊かにしてくれると思います。

 そして何より羨ましいのは、自分が獲得したり、教えてもらった知恵を子供に伝えられるということです。

 そうしたチャンスがない私は仕事を通じて学び続け、拙いながらも文字として知恵を紡ぎ続けていくのが役目だと思ってつらつらと書いています。

私が望む、再現してほしいこと

 そんな私でも子供から「どうして勉強するの?」って聞かれたらという妄想はします。

 国語はそのとき感じたことを記録するための語彙や、伝えるための文法や文章のストックを増やして、もっと豊かに表現するため。

 算数は数字という記号や数式を通して、身近で起こったことを整理して、論理的に理解したり伝えたりするため。

 理科は人間やその他の生き物、自然現象に関するしくみを理解したりして、それを有効に使いながら賢く生きていくため。

 社会は地形や気候や歴史を知ることで、今という時代、起こっていることがどういう経緯や影響を受けて成り立ってきたかを知って、生活にいかすため。

 英語は思ったことや話したいことを日本以外にも広く伝え、日本以外からも広い考え方や知識を得て、自分の世界を広げるため。

 そういう風に話してあげようと思っています。
でも子供がいないのでそれもできません。
もし参考になったら教えてあげてください。

 全部の勉強は、
「あなたが豊かな人生を送るのに役立てて、幸せだなと思う瞬間を何度も再現するため」
だと。

 不正な実験を行った魔性のヒロインや組織の杜撰(ずさん)な管理体制など、センセーショナルな面ばかりが取り上げられているこの事件ですが、瑣末な先端科学の事象の有無よりもこういうところに目を向けると、いろいろなことが楽しくなるような気がします。

Text/肉乃小路ニクヨ