「自分の機嫌と関係なく楽しくしよう」と思えない人なんて一緒にいる価値がない

“機嫌のいい人”がいない家

不機嫌そうに座っている帽子をかぶった男性のサムネイル画像 Clem Onojeghuo

思えば、わたしが育った家は、“機嫌のいい人”がいない家でした。週刊誌の記者をしていた父は、基本的にあまり家にはいませんでしたが、母はそんな常時不在の父を家庭の頂点に置いてもいました。だから、わたしが何か「やってみたいこと」があって希望を言うと、必ず「お父さんに聞いてみる」と自分での決断は避けて、いったん保留にするのが常でした。

父にどんな教育方針があったのかはわかりませんが、どうやらわたしが興味がある方向は、歓迎できないことばかりだったようで、却下されることが多かったように思えます……いや。もしかして、快く許可されたことはすっかり忘れてしまい、却下されたことばかりが、恨みがましく心に残っているのかもしれません。
けれども、市のコミュニティセンターで開かれた漫画の描き方教室(なんと特別講師に高河ゆんが招かれていた!)への参加を「オタクになったらどうする」という理由で否認され、友達に近所の自衛隊基地で年に一度開かれる観閲式に誘われた時も「過激派が爆弾を仕掛けてくる可能性がある」と行かせてもらえず……子供心に「理不尽だなぁ」と感じたことははっきりと記憶にあります。もちろん父親に食い下がったものの、母親はいかなる時でも父親の味方なので、大人2対子供1。当然叶うわけもありません。

わたしの行動に制限を掛ける父と、その言いなりの母。なので、自分の興味の在り処がはっきりとしてきて、かつ、好きに使えるお金を稼ぐことの出来なかった、小学校高学年から中学生までのわたしは、たいてい不機嫌でした。おまけに、2歳年下の弟は、赤ちゃんの頃からあまり笑わないタイプだった上に、成長を遂げるに従って無口に。上のふたりがムスッとしているせいで、一番下の妹も委縮してしまい、子供三人がそういう感じだったため、天然キャラだった母さえも、なんとなく空気を読んだ結果、我が家には“機嫌のいい人”がいなくなってしまったのです。