恋愛格言、「虚言か否か」を考える
「朝きげんよくしろ」「人には腹を立てるな」「風吹きに遠出するな」
……みなさん、この言葉を見たことがありますか。居酒屋チェーンのお手洗いによく貼ってある「親父の小言」というものです。
目にするのが酒場のトイレというで、ほぼ酔っぱらった状態であることも手伝ってか、毎度、用を足しながらも、「なるほどなぁ」と思わずシミジミと考えてしまうのですが、さて、恋愛にも誰が言ったか知らないが、まことしやかに言い伝えられている先人の知恵のような言葉ってありますよね。
例えば
「略奪愛して奪った相手は、再び奪われる」。
恋人がいるのに心変わりをするような人は、例え自分のものにしても心変わりをしてしまうよ、という注意喚起です。
これが世の真理であるかないかは、ケースバイケースとしか言いようがありません。
ですが、略奪愛されて結婚した自分に照らし合わせてみると、「今の相手ほど、性格も生活もピッタリ合う人はいないだろうから、奪われることはないな」と思う反面、薄っすらと不幸せを感じながらも「これくらいの不幸は世間並み」と目を瞑って今の状況を保守するのではなく、勇気を出してエイヤッと捨ててしまったほうが幸せになれる、ということを身をもって経験しているからこそ、今のパートナーよりも性格も生活もピッタリ合うような人が訪れたら、どうなるかわからない……と思う部分もあります。
まぁ、ないとは思いますが。
「好きになった人ではなく、好きになってくれる人と結婚したほうが幸せになる」
「年上の女房は金の草鞋を履いてでも探せ」
「浮気のセックスは外食のステーキ、彼氏とのセックスは家で食べるお茶漬け」
「これまでヤった男の数? おまえは今まで食ったパンの枚数をおぼえているのか」
……この中には、わたしの友人が作ったものも混じっていますが、ツイッターが流行中の現在、140文字という縛りは恋愛格言を呟きやすいこともあって、耳にする機会も増えてたなーという印象です。なかには、botにして、自分の恋愛哲学を流している人もいますしね(笑)。
ただ、そういう格言や名言でも、特に昔から言い伝えられているものについては、少し注意しなくてはいけないと思うんです。っていうのも、その当時に生きる人々にとって、都合よく作ってある可能性があるからです。
具体的に、誰に都合がいいかというと、男性です。
釣った魚に餌は与えず、生かさず殺さず飼い続ける――とまで言うと、ちょっと大げさですが、ようは家長がいて、妻はそれをサポートするという昭和的な家庭を築くため、女に「これが幸せなんだ」と自分たちに都合よく言い含めるためのワードが、名言ぶって流布されているように思えるのです。
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