「性欲」≠「愛」という不等式

 そういうことを踏まえると、「性欲」というものは、「支配欲」が大きく占めているのではないでしょうか。もっともそれは、理性ではなく感情の問題だから仕方がないとも思います。

 が、わたしが憎んでいるのは、その「性欲」=「支配欲」を「愛」だと信じて疑わない人がいることです。
「支配欲」や「性欲」であることを直視することはせずに、「愛」だと信じて疑わない、その能天気さと欺瞞がどうしても許せない。なので、それを見て見ぬふりをしている人がいると、どうしても、指摘したくなってしまう。「その感情、愛だと思ってるかもしれないですけど、ただの支配欲ですよ」と。

 そんなことを伝えたところで、相手を嫌な気分にさせるだけ、喧嘩を売っているような行為でもあるとわかっているのです。そもそも、支配欲の何が悪いのか。それがその人の愛のかたちならば、他人であるわたしが口を出す問題ですらない。

 しかし、もうひとつ困ったことには、わたしの人生には、なぜかそういう性質を持った人々が度々現れて、積極的に関わってくる――「愛」を振りかざして「支配欲」を満たそうとしてくるのです。そして、厄介なことには、わたしも見事にその沼にハマってしまう。だからこそ、わたしはその種の人々を殊更に、敬遠することにしているのです。

Text/大泉りか

次回は<彼の携帯見たことある?心が疲弊している恋愛に気付けないことについて>です。
AM読者の皆さんは、彼氏の携帯をこっそり覗いたことはありますか?今回は大泉さんが試写会で見た『ガール・オン・ザ・トレイン』で思い出した過去の実体験を基にしたお話。心が疲れる恋愛に気付けている人は数少ないはず…しかし、読み終えたら何か発見があるかもしれませんよ。