二十歳年下の女と対等になれると考えるオッサン
もちろんオジサンと、それまで関わりがなかったわけではありません。高校の時に通っていたデートクラブで、わたしを指名するのは、オジサン達でしたし、札束の魅力に負けて寝たこともあるから、若い男性とは違う、その肌の質感や柔らんだ筋肉も知っていました。
けれど、それは“女子高生”という記号を求められてのことだった。“女子高生”という存在は、“女”とはまた違った記号を持った存在です。“女子高生”を愛でることは、“女”と関わることとはちょっと違う。もちろん女子高生相手に、恋愛感情を抱いて、そこを踏み越えて入ってくる人もいましたが、それは、「ロリコンのヘンタイ」というオジサンとはまた別の生き物でした。
だからこそ、高校を卒業して制服を脱いだことで、わたしを“女(=口説いてヤレる相手)”とみなすようになったオジサンの存在に、大きなショックを与えられるとともに、「あぁ、わたしは女になったのだ」と呆然としたのでした。
最初は、もちろんのこと、自分と二十歳歳以上も離れた男性が、まさか自分を恋愛の対象として見ているとは思ってもいませんでした。性欲の部分で求められることは、デートクラブ時代の経験から、重々承知していたけれど、そうではなく、父親と変わらない年齢の男性が「口説いてベッドに持ち込もう」とする男性が本当に信じられなかった。
そういう男性たちは、口説く時によく、「わたしがいかに若いか」ということや、「その若さが素晴らしいものなのか」ということを、何度も口にしました。時には強調するためにか「年を取った女は、いかに醜いか」を対比として出すこともありました。それはわたしの優越感をくすぐるとともに、一方で呪いのようでもありました。だって、わたしもすぐに年を取る。そして、同じく年を取った人間だというのに、男だというだけで、醜さが許容されると無邪気に信じているばかりではなく、二十歳以上も年下の女と、対等に恋愛やセックスが出来ると信じ込んでいるオジサンに、わたしは初めて“女”として、苛立ちを感じたのでした。
次回は《千葉のヤンキーを黙らせる!?キャバクラ通いの40代が見せる『日本の男社会』》です。
Text/大泉りか
初出:2016.08.13
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