その日の遊びはかくれんぼでした。
二階の叔父の部屋に隠れたわたしは、机の下に潜り込み、ひっそりと息を殺して、鬼がくるのを待っていたのですが、その日に限っては、いつまで経っても鬼が探しに来ず、すぐに暇を持て余すことになりました。
なにぶん、せっかちな性質なもので、15分も待ったところで、隠れるのに飽き、「いい加減、見つけてくれないかなー」と机の下から這いだし、辺りにあった雑誌の束を物色したところ、半裸の女性が表紙になっている雑誌を発見したのです。

 我が家の父親は、割とリテラシーの高い人で、家の中にある「エッチなもの」といえば、中高年向け週刊誌と「家庭の医学」くらい。
当時はまだヘアヌード解禁前だったこともあり、裸の女性は載っていても「えげつない」というよりは「アートというフィルターを被せた女体」でしたが、当時のわたしにとっては、それくらいでも十分に劣情をそそる代物で、よくこっそりと盗み見ては、後ろ暗い昂奮を覚えていました。

 叔父の部屋にあった雑誌はまるで違っていました。
どのページも、黒々としたヘアを露わにした女性が、両足をパッカーンと開いている写真ばかりなのです。いま思えば正真正銘の「裏本」(※70~80年代に流行した局部がモロ出し、消しなしのエロ本)と呼ばれるものなのですが、初めて目にするドギツイグラビアに、ひたすら性的好奇心を刺激されて夢中になってページをめくっていたその時。
見慣れたものが目に飛び込んできました。某M社の「マーブル」です。

 しかし、あろうことか、マーブルは女性の股間にぱっくりと埋め込まれています。
そして、そんなものをオシッコの出るところに突き刺しているというのに、女性はウットリと陶酔した艶めかしい表情を浮かべている。
「なんでそんなものがアソコ入るの?」ただの切れ目だと思っていたアソコは実は穴だった……。
ショックを受けると同時に、本能的にそこに「セックスの秘密があるのではないか」と勘づいた、とある夏の日の思い出です。

 大人の世界をちらりと覗き見たその日以来、「マーブル」を目にするたびに、なんだか疚しさを感じてしまい、食べれなくなってしまったわけなのですが、問題は、味ではなく形状にあるらしく、不思議なことに、M&M’Sは抵抗なく食べることが出来る。
では、同じ筒状のパッケージに入っている「アポロ」はどうかというと、これも全然平気。
あの筒状のパッケージと中身とが一緒の時だけ、どうしても食べることが出来ない。
まことに、性的トラウマというものは非常に複雑怪奇なもの。
「マーブル」でさえも克服できないくらいなのだから、幼い頃にもっと衝撃的な経験をして、持つことになった特殊な性癖なんざ、治るわけもないと思う次第であります。

 続く。

…次回は《「本当に好きな人が出来るまで取っておきなさい」-純潔教育とリアルの葛藤》をお届けします。

Text/大泉りか