同じ土俵でたたかう先に待つもの

 ちょっとゾワゾワと背筋に寒気を感じつつ、その女性とわたしとの共通の知人に相談してみたところ「えっ!浮気してた?……ああ、そういや、あの人がネットにアップする画像がどんどんあなたに似てくるから、『あなたに憧れて真似してるのかな』って思ってたんだけど……」と言うことなので、どうやらこれは自分の判断能力が狂っているわけではなく、客観的な事実として、正しいのではないか。

 そう思い、また別の、今度は、恋人の不貞を実は知っていた友人にも訪ねてみたところ「クリスマスのチキンがね、あなたとあのコとで順番に上がってくるのを見て『うわわぁ……』って思ってた」とも。
存ぜぬこととはゆえ、聖なる日に怖がらせてゴメンと思いながらも、その女性は何かしらの意図でもって、同じ犬種の犬を飼い、クリスマスにチキンを焼いていることを確信しました。

 しかし、なぜだ。

 そのことを考えた時に、まず思ったのは、張り合っていたのではないかということです。
「同じチキンでも、君の焼いたチキンのほうが美味しい」「同じ犬でも、君の犬のほうが可愛い」と言わせることができれば、「同じ彼女でも、君のほうが好き」にいつかつながるという希望。
だから、ローストビーフやフォアグラのせステーキや猫やフェレットではなく、チキンと、同じ犬種の犬でなくてはいけなかった。

 いや、そんな性格の悪いことを考えるのはわたしだけで、素直に「もうひとりの恋人が家でローストチキン作っているくらいだから、ローストチキンが好きなのね、だったらわたしもそれを作ろう」「もうひとりの恋人の犬をずいぶんと可愛がってるみたいだから、犬が好きなのね、じゃあうちでも犬を飼ってあげよう」という愛情ゆえ?

 それとも、「同じことをしているの、あなたはどう思うの?」という、男への無言の揺さぶり?

 どちらにしても、そんなことをすればするほど、自分が傷つくだけなのに、それでも、せざるを得ない状況は、どんどんとつらくなるばかりでしょう。
つらくなればなるほど、好きな人の救済が欲しくて、でも、その救済は『一番になること』だけ。
こうなると地獄だと思うんですが、彼女はそんな地獄にいたのでしょうか。
けれども、「だったらそんな男、譲ってやるよ」と言えないわたしもまた地獄にいた……。

 うーん。

 こうやっていくら考えても、わたしには、その女性の気持ちを理解することができず、今年もまた、釈然としない思いで、チキンの肛門に手を突っ込むこととなりそうです。

 次回は、【ベッドの中ではくっついて眠りたい…愛と人肌のバランスについて】をお届けします!

Text/大泉りか