即答できない私の「好き」は

「どのくらい好き?」

バカ真面目な私はバカ真面目にそれについて考えてしまう。
「どのくらいって、一体どのくらいの好き(という大きさ)なら”ちゃんと好き”と相手に認められるんだ?」
そんなことを考えてしまう。
バカ真面目に答えようとすると即答できない。だから、今度は
「即答できない自分の好きが小さいってことなのか、それは好きじゃないってことになるんだろうか」
悩みに悩み苦悩する。
「私にとって好きは意思とか決意とか約束みたいなものなのに、それにどのくらいかなんてわからない……」
こうして頭の中はぐるぐるぐるぐるとまわりはじめ、ついにはきたる。
「好きってなんなんだ?」に到達。

私は、はっきり言ってASD(アスペルガー、今で言う自閉症スペクトラム)なのだ。※診断済み
なんでもバカ正直に物事を受け止めてしまう。冗談が通じない。空気を読むという協調性を重んじたコミュニケーションが取れない。

もちろん、さすがに30年近くも生きてきたのでなんとなくはできる。
ああこれは冗談で言ってるんだなとか、相手の発言に深い意味は別に無くてただ聞いてもらいたいだけなんだなとか、共感してもらうことで安心したいだけなんだなとか、それくらいのことはだいたい覚えてきた。
それでも新しい世界に足を踏み入れると、その世界でのコミュニケーションの取り方は私にとっては未知なわけだから、模範解答がわからなくてバカ正直真面目に考え悩んでしまうのだ。
その新しい世界というのが今回、恋愛だった。

恋愛について勉強中

まあさすがにYahoo!知恵袋で模範解答を調べてきたし「好きか」と聞かれたら深いこと考えずただ「好きだよ」と返せばいいことはもうわかったわけだから、それに慣れて気楽にやっていけばいいだけだ。

恋愛って難しい。今までほとんどろくにやってこなかっただけに、大人になった今から覚えることが色々多過ぎて、少し不安を覚えてしまうほどだ。

未熟者では人を愛せない。愛は技術だという。これはエーリッヒ・フロムの本に書かれていたことだ。
今私は彼の本を読んで愛について勉強中である。
それは今自分が付き合っている相手と上手に楽しく生きていきたいし、正しくきちんと愛したいからである。嫉妬することや独占すること、所有したがることは愛ではないのだ。
もっともっと成長できるように、今は自分と相手の気持ちについて日頃からよく考えていきたいものである。

Text/oyumi